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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

今年の抱負を考えてみるというありきたりな話

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カレンダーを架け替えたからと言って人生が一変するわけでもあるまいし、去年と今年の違いは昨日と今日の違いでしかないもんね、などと斜に構えてはみるものの、やはり世間並みに今年の抱負などを考えるのはおそらく今を置いて他には無いだろう。今日は昨日からの段差の無い連続であるはずなのだが、日頃の心掛けをあらためて言葉にして再認識することで、忘れかけていた思いをリフレッシュすることとしよう。毎年のごく初めの頃に限定される非常に賞味期限の短いネタであることだし、今日が仕事始めでもあるのでちょうど良い。

どうも抱負と聞くと、小学生の頃に新学年が始まる都度、「X年生になって」というタイトルで400字詰め原稿用紙3枚で作文を書け、といった課題を与えられた国語の時間を思い出す。別に学年が一つ上になったからと言って心がいきなり入れ替わるわけないじゃないか、という思いを何となく抱いていたので、僕はこれが大変に苦手であった。何とも感じませんと書くわけにもいかないので、殊勝にも前向きな形容詞満載の、中身の無いその場限りの言葉を並べてお茶を濁した。真意はともかく、表面上はそうすることを周囲は期待していたわけだが、書くことなんどてんで思いつかない、教室の窓の外をぼうっと眺めているへそ曲がりの小学生にとって、最低限の801文字目ははるか彼方にある目標であった。

はて、僕は仕事上何を心掛けているのだろうか。自問自答といったテンポの良い響きのようにはいかないことに気付かされてしまう。とりあえずは会社ではエバンジェリストの端くれということになっているので、それらしいことを第一に据えるのがあるべき姿というところだろう。

セミナーなどの場で話す機会が多いので、まずは人にわかりやすい話をすることを最低限の要件と心掛けよう。技術的・概念的な用語を駆使して一部の人だけの理解を得ることはむしろたやすいのだが、参加してくれているあらゆる人にきちんと話をするのは礼儀とでも言うべき当然の行ないであるに違いない。でも参加者の背景は様々であることも事実である。誰でもわかるということは、最も知識を持たない人を想定するということなのだろうか。そんなことをしたら、多くの人に退屈な思いを強いることになってしまう。おそらくは一部を見捨てる可能性を許容しつつ、平均的と思われる層をターゲットにするのが無難なところだろう。学校でどのレベルの生徒を基準に授業を進めるべきか、という命題と同じジレンマである。

どうせ万人が感銘を受けるような完璧な話はできないし、そんな必要性はさらさらない(本当か?)のならば、怪しげな雑学知識の披瀝か、ギャグを一発かますか、何か芸を仕込んでやれば印象深い話にはなるだろう。ただ僕の経験上ギャグはかなりリスクが高い。果敢に挑戦して見事に外す場面を何度か目にしている。無理に芸風(?)を変えようとしても、どこかに歪を生じさせるだけのことだ。やはり自分の芸を磨きつつ着実に課題をこなすのが良い。ところで、僕の芸って何だろう。よく考えるとわからないな。ならば今年は自分の芸風を磨いて、これと言葉で表現できるものを見出すことを目標としてみようか。

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