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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

シルバーウィークを考える

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年がら年中カレンダーを眺めているわけではないので、そもそも9月に5連休があるなんて、比較的最近になるまで気付かなかった。いずれにせよ大型連休が頻繁にある事はありがたい。なんて言ったりする事自体がもしかしたら旧態依然とした物の考え方なのかもしれない。サラリーマンたるもの、休みたかったら権利として保障されている有給休暇を取得すればよいのである。どのみち僕自身はここのところ与えられた権利を使いきれない年が続いているのだから。

あらゆる国の任意の年のカレンダーを見るサイトを少々眺めてみた。今から20年前の1989年に、日本において本来ならば平日になる日(要するに月~金の間)が休みになったのは全部で10日に過ぎなかったのに対して、今年は全部で16日もある。曜日の巡り合わせの良し悪しもあるので一概には言えないが、祝祭日って年を追う毎に少しずつ増えているのはおそらく事実だろう。増える方の議論がなされる事はあっても、減る方の話は聞いたことがないわけだし。黙々と働いていれば「お上が決めた」連休が「あっちの方から」やってきて、周囲に気兼ねすることなく数少ないチャンスとばかりに、皆してどこかに遠出することができるというのは、気楽と言えば気楽であろう。この国の民は大型連休でも用意しておかないと、遠出をしないで済ませてしまう恐れがあるので、経済を活性化させるお膳立てをしなければならない、というわけなのだろうか。ただし皆のスケジュールは常にかち合うものだから、どこに行くにも渋滞と混雑には耐えなければならないし、料金もべらぼうに高くなったりする。

ちなみにこのサイトのカレンダーは必ずしも正確ではないので注意が必要である。面白半分に1945年のカレンダーを見てみたら、10月10日が体育の日で休みとなっている。確かこの日って1964年の東京オリンピック開会式開催を記念して設定されたはずなので、それ以前に存在するはずはないのである。

ついでながらアメリカのカレンダーを見てみると、今年の分の同様の休みの日数はわずか10日に過ぎない。連休と言っても、日本では5連休が二度もあるのに対して、あちらのはせいぜい3日連続がいいところだ。これだけでは遠出をするには日程的に少々厳しい。確かにアメリカに駐在していた時も、祝祭日が少ないなと思ったものだ。その代わりに自分で休暇を調整しなければならないし、そうするのが当たり前になっていた。だから遠出のスケジュールは「お上」ではなく、自分が決めればよいのである。

日本においてだって例えば夏休みの休暇のとり方が、個々人の都合に合わせてばらついているのは、8月半ばに祝祭日が定められていないことによるのではないだろうか。休暇を取ることが習慣づいてしまっていれば、あえてそのスケジュールを特定する必要がないということだろう。ちょっとした連休は遠出のきっかけとしては良いかもしれないが、大型のを何度も繰り出すというのは正しい施策なのだろうか。いや、休暇を取得する度に感じるであろう、何がしかのうしろめたさを避けるためには必要だというのも根強い正論なのだろう。

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