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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

季節のカード

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今年もそろそろ年賀状を作らなければならない時期がやってきた。かつては印刷業者に頼まない限り、ひたすら同じ事を繰り返すという、手書きの難行苦行で憂鬱になったものだ。今では住所録さえ予め整備してあれば、適当に文言を作ってイメージを貼り付けて、次はプリンターの出番である。適当にコーヒーでもすすりながら、ブランクの葉書の補給に気をつけていれば済む。テクノロジーの進歩のありがたさをしみじみと実感する瞬間である。最後に気の向くままに手書きで一言添えて仕上げてやればよい。中には時間切れになって、プリンターの吐き出す文言だけを送ることになってしまう場合もあるけれど。

数年前にアメリカに住んでいた頃はこれがクリスマス・カードであった。Thanks Givingが終わる頃には、趣向を凝らしたクリスマス・カードが、カードの専門店だけでなくスーパーマーケットや本屋など、ありとあらゆるところで売りに出される。日本のように官製葉書を100枚まとめて購入するというよりも、これらの店で箱売り・バラ売りのもので必要数を買い揃えることになる。そしてさぞかし皆カード作りは機械任せにするのかと思っていたら、意外なことにテクノロジーは登場する出番がない。要するにとことん手作業という、かつての年賀状作りのような悪夢の再現であった。

まず引っ掛かるのは、種類によってカードの大きさや材質がまちまちであることだ。凹凸があったり、厚みが違っていたり、中には飾りや穴あったりとプリンターと相性の悪いことこの上ない。仕方なく慣れない英語でメッセージを手書きするわけであるが、最後にサインが必要だ。本文書きは妻と分担してこなすとしても、家族ぐるみの付き合いともなると、各自のサインが漏れなく書いてあるかどうかチェックをしないといけない。

クリスマス・カードならではの追加作業が待ち受けているのはこの後だ。カードは単なるカードであって葉書ではないのである。封筒に住所と宛先を書いた後に、カードを詰めて、糊付けして、さらに切手を貼らなければならない。写経の次は工作なのだ。わずかの救いは、シールになっている切手があることくらいか。裏に糊を塗る手間が省けるので「猫の手」が援軍に来てくれた程度の役には立つ。日本でも同様の切手を販売してくれると良いと思うのだが。

結果的に1通あたりの作業工数は、年賀状の比ではない。かつての年賀状作りの工数と比較しても数倍の手間隙がかかってしまう。面倒だから枚数を減らしてしまえとも思ったが、日本にいる親戚・友人への年賀状の代わりでもあるのでそうもいかない。ああ、日本に帰ってきてよかった。

今は年賀状作りの準備期間というわけで、喪中の葉書が時々舞い込んで来る。パソコンのキーボードを叩きつつ、在りし日の方々を思い浮かべながら、僕はまだ元気にやっていますよ、と誰ともなく念じたりするのである。合掌。

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