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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

家庭の主婦は贅沢品か

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おそらく表題の問いに対する一般的な答えは「イエス」なんだろう。だとしたら僕は贅沢な暮らしをしていることになる。へぇそうなんだ。確かに会社で周囲を見回すと、専業主婦が家庭にいるのは少数派である。僕が所属する部門は割合に女性の占める割合が高いのであるが、兼業主婦の数とパワーはなかなかのものだ。一方で三食昼寝付きとまでは行かなくても、何かを「生産」する能力があると見なされるにも関わらず、実際には何らの「生産活動」をしていない人間を家庭に抱えているのは、贅沢以外の何者でもないというのが世間の常識ってやつなのだろう。

「贅沢品」としてはそういった潮流には我慢ならないのであろう。同様の境遇にある者同士で気炎を上げたりすることもあるようだ。要するに井戸端会議というやつで、たまに僕も家庭でご高説を拝聴することになる。適当に調子を合わせておかないと機嫌を損ねるので、異論を唱えることは差し控えているのであるが、なかなか面白いので以下に要点を紹介してみよう。なるべく発言内容に忠実に書くので、視野の狭さを非難したり、論理的な飛躍や矛盾点を追及しようなどと考えることは無用である。清濁併せ呑むつもりで見て欲しい。

  • なんでTVドラマの主人公として子持ちのOLをカッコよく描くのか。子持ちでありながら外で働くという事は、多くの場合、金を払って他人に我が子の子育てを委ねる事を意味している。産んだ以上は子供を育てるのは親の義務であり、金でそれを回避する事のどこがカッコよいのか。

  • 子育てだって重要な生産的活動だ。次世代を担う人間を手塩にかけて育てる事こそ重要なのである。社会全体という視野に立って長期戦略を真剣に考えるならば、子育てほど重要な仕事はない。それに比べて子育てを他に委ねて働くということは、何とも近視眼的であるばかりでなく、利己的ではないか。

  • そもそも子育てを義務やコストとしてのみとらえるという発想が間違っている。コストがかかることは事実であるが、それは権利であり喜びですらある。そう思えないのであれば、そもそも子供を産んだ事自体が誤った選択だと言わざるを得ない。
  • マスコミや政治は、女性が働く環境の整備ばかりに目を向けるのは間違っている。家庭で子育てする環境は放置するつもりか。

ちなみに僕自身は、子持ちでありながら働くことを否定しようという気はさらさらない。それは個人の生きがいとか、価値観とか各家庭の経済状況の問題であって、働く意志があるのであれば、それは支援されてしかるべきであろう。一方でそうしないことを選択する事も尊重されるべきである。ちなみに妻が最もむかつくのは、幼い子を持ちながら会社でカッコよく働くOLを描いたTVドラマなのだそうだ。カッコよさはごく限られた面であるばかりでなく、実際の若いOLがそんな姿にあこがたりするような事があるとしたら、教育上よろしくないというわけだ。

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