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『沈みゆく帝国』か、ジョブズ王朝の終わりか

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かつて地中海一帯に、ローマ帝国と呼ばれた国家がありました。そんなこと改めて言われるまでもない、ですよね。それではこの国はいつ始まり、いつ滅んだのでしょうか?始まったのは「紀元前27年の共和制から帝政への移行」?それとも「紀元前8世紀頃の都市国家ローマの形成」?終わったのは「395年の東西分裂」?それとも「1453年の東ローマ帝国滅亡」?東ローマ帝国はビザンチン帝国であってローマ帝国ではない、と思われるかもしれませんが、彼ら自身は自らを「ローマ帝国」と名乗っていたそうです。また1467年にはモスクワ大公のイヴァン3世がコンスタンティノス11世(東ローマ帝国最後の皇帝)の姪と結婚し、ローマ帝国の継承者を自称しているそうですから、考えようによってはもっと最近まで「ローマ帝国」が続いていたと言えるでしょう。

残念ながら歴史はあまり詳しくないので(大好きなのですがどうも人名や地名が覚えられません……)、「いつからいつまでがローマ帝国なのか」論はこの程度にしておきたいと思いますが、ここで重要なのは「何をもって『ローマ帝国』と見なすのか?」という定義です。「帝政」という点を重視するのであれば、あのユリウス・カエサルが生きていた頃のローマは共和制ですから、カエサルは「ローマ帝国」の人物ではないということになります。そして1453年まで曲がりなりにもこの国家は続いていた、ということになるでしょう。

別にどの捉え方が正しいと言いたいのではありません。「~は終わったのか」という議論をする場合には、頭の中にどのような基準を置いているのかを明らかにしておかないと、水掛け論で終わってしまう危険性があるのです。

前置きはこのぐらいにして、先日『沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか』の出版イベントhttp://apple0716.peatix.com/があり、著者のケイン岩谷ゆかりさんらによるディスカッションが行われたので参加してきました。

沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか 沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか
ケイン岩谷ゆかり 外村仁(解説)

日経BP社 2014-06-18
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「ジョブズ後のアップルが抱える問題をはっきりと指摘した」として話題となっている本書ですが、面白いことに岩谷さんによれば、2010年頃に企画を温めていた当初は「アップルはなぜ絶好調なのか」を描く本にするつもりだったとのこと。ジョブズ一人にスポットライトを当てるのではなく、その影に隠れた優秀な人々にも注目し、アップルの全体像を描く……はずが2011年にジョブズが死去。そしてご存じウォルター・アイザックソンのジョブズ伝記が出版され、アップルの「過去」を知りたいという人々のニーズは満たされたのではないか?と考えた岩谷さんが、それならアップルの「今後」を知りたいというニーズを満たす一冊にしよう、と方向転換して生まれたのが本書です。

「アップルの今後」を知りたいというニーズとはすなわち、「ジョブズを失ったアップルは滅亡してしまうのか?」を知りたいという願望であると言えるでしょう。原著に対してティム・クックが「寝言だ」と一刀両断したことや、また邦題につけられた「沈みゆく」という表現から、本書はジョブズなきアップルが滅亡すると断言しているかのように誤解されがちですが、実はそのような結論は下していません。確かにアップルを取り巻く環境が非常に厳しいものであることを描いているのですが、一方でティム・クックが管理能力に長けた人物であることや、アップルの哲学を体現する人物がまだ社内にとどまっていることなど、明るい材料があることも指摘されています。この点について、岩谷さんご自身もイベントの中で、本書がアップル批判本であるかのように受け取られていることが意外だと述べられていました。

ただ一方で、アップルが「ジョブズが居た頃のアップル」であり続けられるかという点については、悲観的な見通しが示されています。その最たるものが、iPhoneやiPadに続くイノベーティブな製品の欠如でしょう。アップルは消費者、特にアップルのファンたちから、世界を一変させるような新しい製品をもたらす会社だと期待されていました。現実がどうだったかはさておき、ジョブズはいわゆる「現実歪曲空間」を生み出すほどの説得力を持ち、世界を魅了し続けてきました。ある意味で、アップルはその力を前提として、ビジネスを前に動かす仕組みを構築してきたと言えるでしょう。ところがジョブズの死後、その前提を失った既存の仕組みにはほころびが見え始め、実際にSiriや地図アプリの立ち上げ失敗といった事態が起きています。ジョブズと同じ指導力や説得力を発揮できる人物も見つかりそうにありません。

しかしそれが即「アップルの滅亡」を予言するかというと、そうとは限らないでしょう。いまや巨大企業となったアップルは、その存在感を活かして、十分に「普通の企業」として生き残っていくことができます。ちょうどイベントのあった当日、アップルとIBMの提携が発表されましたが、IBMは巧みに方向転換してビジネスを続けるお手本のような企業。ある意味で「これからはIBMのように生きていく」ことを明確に示したと言えるかもしれません。イベントでも、ジョブズはB2Cのビジネスしか興味を示さなかったのに対して、今回B2Bに乗り出したことはティム・クックならではの動きではないかという指摘がされていました。

IBMが名前やコア事業を変化させながら、100年以上生き残ってきたように、あるいはローマ帝国が政治体制や領土を変えながら、数百年間歴史に名を刻んできたように、アップルも外見や中身を変えながら続いていくのでしょう。確かに、「反逆者としてのアップル」をアップルだと考える人にとっては、伝説の「1984年スーパーボウルCM」を作ったころのアップルはもう終わったと言えるかもしれません(なにしろこのCMの仮想敵国はIBMなのですから)。しかしそれは、正確には「ジョブズ王朝の終わり」とでも呼ぶべきもので、アップルの滅亡まで決定づけるものではないのです。

いずれにせよ忘れてならないのは、ローマ帝国の始まりと終わりを論じる時のように、何をもって「アップル」と考えているのかという基準を明確にする必要があるという点です。でないと自分の頭の中にあるアップルが「終わった」と感じるあまり、現実のアップルが何をしても、終わりを予兆させるものとしか感じられなくなってしまうかもしれません。

『沈みゆく帝国』はそういった理想像を前提とするのではなく、あくまで冷静に、そして詳細にアップルの現状を整理しています。良くも悪くもアップルには様々なイメージがまとわりついていて(さらに極度の秘密主義ということもあり)、正確な姿を捉えるのは難しいのですが、本書はそれを大きく手助けしてくれることでしょう。そして読後には、ニュートラルな視点で改めて「これからアップルはどうなるのか」を考えられるようになると思います。

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