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【書評】'Dark Pools'

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昨夜のNHK『クローズアップ現代』のテーマは「超高速化する社会」。地震対応や特許申請など、様々な世界で「1秒以下の争い」が起きていることを紹介するという内容でしたが、その1つとして取り上げられていたのが「HFT(High Frequency Trading)」、すなわち証券市場などにおける高頻度取引の世界です。いまや市場をけん引しているのは、ミリセカンド(1000分の1秒)やマイクロセカンド(100万分の1秒)などという単位で扱われる取引であり、従ってマーケットもトレーダーも機械が主役の座についていることが解説されていました。

で、たまたま読んでいた本'Dark Pools: High-Speed Traders, A.I. Bandits, and the Threat to the Global Financial System'がまさにこの辺りをカバーする内容でしたので、簡単にご紹介を。

Dark Pools: High-Speed Traders,  A.I. Bandits, and the Threat to the Global Financial System Dark Pools: High-Speed Traders, A.I. Bandits, and the Threat to the Global Financial System
Scott Patterson

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1990年代に本格化した電子取引とHFTによって、市場のルールとプレーヤーがいかに変貌を遂げたのか、プログラムによる「アルゴリズム取引」が市場にどんなインパクトをもたらしたのか、AIやビッグデータなど新たな技術的要因が今後どのような影響を与え得るのか等々について、300ページ以上を費やして詳細に語られています。著者のスコット・パタースン氏はウォールストリート・ジャーナル紙の記者で、過去に『ザ・クオンツ 世界経済を破壊した天才たち』という著作も。金融市場の話ということで難解な内容でしたが、物語風に仕立ててあり、小説を読んでいるような気分で読み進めることができました(ただしそれだけに専門家の眼からすると「?」という記述もあるようで、一部不正確だというレビューがあることも述べておきます)。

タイトルの「ダークプール」とは、本来は「取引所を通さずに行われる取引(証券会社が社内の付け合せで処理するなど)もしくはそのような取引環境」という意味ですが、パタースン氏は以下のように解説しています:

本書のタイトル「ダークプール」は、金融業界における本来の意味で使われているのではない。狭義のダークプールとは「公開された市場を通さずに売買を行える場所」を意味するが、私が本書で訴えようとしているのは、「米国内の株式市場すべてがひとつの巨大なダークプールのようになってしまっている」という点だ。あらゆる場所で売買注文が隠ぺいされ、AIを使った複雑なアルゴリズム取引システム(いまや市場の盛衰を左右する存在だ)も、秘密のベールで覆い隠されているのである。投資家も、そして名誉ある規制当局も、誰も先行きを見通すことができない。なぜなら市場そのものが闇に包まれているからだ。

この解説からも分かるように、基本的に本書の論調は「アルゴリズムが猛烈な勢いで売買を繰り返す現在の市場は、誰も全体像をつかめない、制御ができないというブラックボックスのような状態(=ダークプール)にあるのではないか」というものです。この主張が正しいかどうかの判断は専門家の方々に任せたいと思いますが、前述のように「1000分の1秒」以下の短さで機械が攻防を繰り広げる、しかも最近ではプログラム自らが学習して進化を遂げるという世界は、既に人間だけでは太刀打ちできない状態になっていると言えるでしょう。

その1つの現れであり、本書を含めて様々な場面で指摘されるのが、2010年5月6日の「フラッシュ・クラッシュ」です。これは同日の午後2時40分からおよそ5分間の間に、ダウ平均が500ドル以上も急落、しかし安値を記録した午後2時47分からおよそ1分半で、今度は500ドル以上も急騰するという激しい乱高下が起きた事件のこと。事件直後は誤った発注やシステムの誤操作・誤作動といった原因が考えられていましたが、SECの調査によって否定され、アルゴリズムを駆使したHFTが相互に反応しあって引き起こされたのでは?という説が主張されています。残念ながらフラッシュ・クラッシュはその後も引き続き発生しており、次は市場や地域の壁を越え、世界の金融市場全体が暴落する「スプラッシュ・クラッシュ」が起きるのではないかという声も起きているほど。

なぜこんな、モンスターのような状況が生まれてしまったのか。本書は様々な歴史的経緯と要因を解説しているので、特定の原因をあげつらうことは避けたいのですが、1つ印象に残ったのがJoshua Levineという人物の存在です。彼は非常に優秀なプログラマで、「情報はフリーであるべきだ」という信念を持ち、金銭欲や名誉欲という世俗的な目標には目もくれずに(この辺りは「小説的な味付けに過ぎない」という批判もあるでしょうが)、「旧態依然とした金融業界が支配する閉ざされた市場」を技術の力で変えてゆこうとします。その信念が花開き、彼は電子取引の普及と古い金融業界の打破に大きく貢献するのですが――代わりに登場してきたのは、超高速の取引を可能にするアルゴリズム、インフラ、そして取引所とのコネクションを武器とする新たな企業たちでした。「技術は善でも悪でもなく、また中立でもない(Technology is neither good nor bad—nor is it neutral)」という言葉を思い出さずにはいられませんが、環境変化の只中で、当事者として携わった時に未来を冷静に見通すことができるのかどうか。そう考えると、自らの行動を振り返らずにはいられない一冊でした。

その意味で、本書は「金融市場の超現代史」としてだけでなく、技術とベンチャーが古い権威を打ち破ろうとしたときに何が起きるのか?のケーススタディとしても考えられると思います。金融関係者だけでなく、ぜひ技術系の方々にも読んでほしいところです。

余談ですが、本書のテーマに近い特集が昨年「WIRED」上に掲載されていたので、以下にリンクを貼っておきます。この記事を読んで面白かった!と感じた方は、'Dark Pools'も楽しめるのではないでしょうか。

ウォール・ストリート、暴走するアルゴリズム(1/5) (WIRED.jp)

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