「日本の自殺」と「情報化が衆愚を招く」論への違和感
樋口さんの記事がはてブ界隈で議論されていたので少し。
■ 日本の自殺 [「デマかもしれないけど、いい話だからシェアする」がダメな理由] (higuchi.com blog)
まず始めに、樋口さんが訴えられている「無批判に情報をシェアすることの誤り」については僕も強く賛同します。最近のデマネタをシェアやRTした人の動機は、「感動したから共有したい」というものだったかもしれません。しかしその目的が手段を正当化するものでないことは、昨年の東日本大震災後に起きたデマの蔓延という状況を思えば明らかでしょう。「100%の確証を得られてからシェアすべきというのは現実的ではない」という意見なら理解できますが、それでも真偽を気にせずにRTボタンを押して良いということにはならず、ましてや「デマだけどいい話だからいいよね!」という態度が許されるものではありません。
樋口さんはコメント欄で改めて、次のようにまとめられています:
伝聞がいけないとか、フィクションがいけないとか、物語がいけないとか、マスメディアがいけないとか、シェアやRTがいけない、なんてことは一言も言ってないつもりです。もしそう理解したとしたら、まあ、私の文章が下手だったのであやまりますが、訂正させてください。
いけないのは「自分に入ってきた情報を、ろくに読みもせず、裏も取らずに、真偽も確かめず、感情にまかせてばらまく行為」です。
裏を返して、「情報を受け取ったら、まず自分の頭で主張を正しく読み取って、事実関係があるのなら裏を取る努力ぐらいはして、真偽を自分の頭で確かめて、できれば情報に対する自分の主張や考えを付加してから外に出すという癖をつけるのがいいと思う」と読み替えていただいてもよいです。
ということで結論部分には同意しているのですが、1つ違和感を覚えた点が。それは文藝春秋の記事「日本の自殺」を引用している部分です:
この論文の中で、人々が衆愚になっていく大きな原因の一つとして指摘されているのが「情報の洪水」あるいは「情報汚染」。
マス・メディアを通じて膨大な情報が垂れ流されることで、直接経験によらない間接経験の情報の比率が増え、情報に対する判断や批判が行われなくなり、浅薄な好奇心をあおりやすい一時性の情報ばかりを簡単に消費するようになり、やがて情報を無批判に受け容れるようになる、というプロセス。
論文が書かれた当初はテレビによる情報垂れ流しを危惧していたのだろうけど、今だとネットがまさにこれ。
そもそも「日本の自殺」が最初に掲載されたのは1975年、今から37年も前のことです。日本崩壊を予測する「予言の書」というセンセーショナリズム、さらに文藝春秋の記事を朝日新聞のコラムが取り上げたという話題性も手伝い、各所で注目されているそうですが、言ってしまえば30年以上前の「外れた予言」。満身創痍とはいえ、2012年になった今でも日本は崩壊していません。そんな記事が情報洪水に警鐘を鳴らしているといっても、正直ピンときませんでした。
というわけで、自分でも文藝春秋を購入して「日本の自殺」を読んでみることに。
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一読して強く感じたのは、この記事がかなりの論拠を断定に頼っているという点です。ロジックの重要な部分でも「○○なのは××だからだ」という言い切りで先へ進んでしまい、正直なところ、全体を通して読んでみてもあまり説得力は感じられませんでした(確認してみれば事実であると確信できる部分も多いと思うのですが)。
例えば記事の前半は、「ローマ帝国の崩壊過程から類推する」という議論を行っているのですが、肝心の「いつをもってローマ帝国が崩壊したとみなすのか」というポイントについては言及なし。「西ローマ帝国も含めればローマ帝国は1500年近くも続いた!」とまで言うつもりはありませんが、395年の東西ローマ分裂をもってローマ帝国崩壊とみなしても、約400年も続けば国の1つや2つ崩壊しておかしくないでしょう。また崩壊の一因として指摘されている「パンとサーカス」についても、いつ成立してどの時点から悪影響が出たかは明確にされないまま。逆に「パンとサーカスを続けながら400年も存続したローマ帝国は素晴らしい」という評価すらできるのではないでしょうか。ちなみにウィキペディアの記述を確認したところ、実は東西ローマ分裂後の東ローマ帝国でも「パンとサーカス」が維持されていたとの指摘もあります(これ自体「ネットの情報を鵜呑みにする行為だ!」と批判されてしまうかもしれませんが……)。
話を戻しましょう。樋口さんの記事でも取り上げられていた通り、「日本の自殺」では文明の発達により日本人が衆愚化するというシナリオが描かれているのですが、その流れは多岐にわたります。主なものをまとめてみるとこんな感じ:
- 技術の発展で便利になる>ボタンを押すだけで事足りる世界になって思考力・判断力が不要になる
- マスコミの発達と教育の普及により、自分自身の直接体験を通じて得られる知識の割合が減り、間接体験に頼るようになる結果、皮相的で質の悪い知識が人々の頭に入り込むようになる
- 以下のような情報化の弊害が生まれる:
- 大量の情報が押し寄せることで、人は他人の経験に依存するようになる
- 脳の処理能力を超える情報が押し寄せることで、神経症状があらわれる
- 情報のスピード上昇により、人々は新奇な情報を求めるようになる
- 短絡的で論理的思考能力のない人間が増え、彼らによって情報が右から左へと垂れ流されるようになる
- マスメディアがニュースバリューのある情報しか流さないようになり、虚構の世界がつくりあげられる
部分部分だけ見れば、頷けるところが無いわけではありません。ただしこれらが組み合わさって、総合的に「衆愚化」が起きるという議論になっているのに対し、発表から37年が経過したいまでも日本が崩壊していない以上、どこかで現実とズレが生じていると言わざるを得ないでしょう。いや衆愚化してるじゃないか、と言い切って話を進めることもできるかもしれませんが、それでも日本が生きながらえているのなら、「衆愚」は国の栄枯盛衰には関係しないということになります。
そもそもこうした「情報洪水論」を始めると避けて通れないのが、どこまでが適度な情報で、どこからが情報過多なのかという点です。新しいメディアが登場した際に、旧システムに属する人々から「情報洪水だ!」的な批判が巻き起こるという状況は、歴史を通じて何度も登場してきました。本当に人間の脳が僅かな情報しか処理できず、あまりに多くの情報に接するとバカになってしまうのであれば、グーテンベルクの印刷機によって15世紀にヨーロッパは崩壊していたでしょう。実際には宗教革命を経て、ヨーロッパは世界で最も早く産業革命の時代に入ることとなり、その後の繁栄を築いたことはご存知の通りです。
またメディアを通じて得られる「仮想知識」が実体験を通じて得られる知識よりも劣るというのも、少しおかしな議論ではないでしょうか。恐らく「日本の自殺」が想定しているのは、低俗なバラエティー番組や扇情的なワイドショー番組のようなコンテンツだと思いますが、メディア全般で考えてみるならば、テレビやラジオといったテクノロジーが登場する以前から、人間は様々なメディアを通じて「他人の知識」を自分のものとしてきました。そもそも言葉というもの自体が、人類に他人の経験に基づいて行動することを可能にし、進化を促してきたという説もあります(「ダンバー数」で有名な人類学者、ロビン・ダンバーの著書に詳しいです)。「情報洪水論」の不安は分かるものの、現実にはより情報が手に入り、より他人の考えを参照できるような環境にいる方が、人間はイノベーションを起こすことができるようです。
さらに知識というもののあり方自体が、ネットワーク型に変化するという指摘もあります。一人の天才の頭脳に全ての知識が詰まっている時代から、数多くの人々の頭脳がつながったネットワークが全体として「知識」を高める時代になるのだという考え方ですね。この辺は以前紹介した本"Too Big to Know"や"Reinventing Discovery"の辺りに詳しいので、興味がある方はご一読を。
というわけで、「日本の自殺」の議論には必ずしも現実に一致していない部分があるのでは?という感想に至ったのですが、だからといって人々が無責任に情報発信する状況が到来しても良いということではありません。違和感を感じたのは情報化->衆愚化という因果関係の部分であり、原因が何であれ、デマでも楽しめる情報が流れれば良いといった状況は避けねばならないと思います。
ただし因果関係が逆というか、メディアが情報洪水をどんどん起こすような方向へと進化しているのは、もともと人間が情報中毒患者だからなのかもしれません。様々な心理学の実験を通じて、人間の脳はゴシップ、つまり「誰と誰が何をした」的な話をすることに適した構造になっていることが分かりつつあるそうです(こんな研究結果とか)。人類が社会を築き上げることで生き残ってきた生物であることを考えれば、脳が他人の情報を欲する構造になっていることも合点がいきますが……裏を返せば、どんなに無責任な噂話は良くないと訴えても、メディアとデマは切り離すことができないだろうという結論に至ってしまうのかもしれませんね。
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