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資源となる「幽霊」

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インドではいま、国民一人ひとりに対して生体情報をベースにした固有ID(Unique Identity, UID)を発行するプロジェクト"AADHAAR"が進められています。その状況と未来像についてまとめた記事が、Economist誌のサイトで公開されていました:

The magic number (The Economist)

目の虹彩や指紋などを情報端末で収集、データベース化するという、先進国でも希なプロジェクト。実際に生体情報を採取している写真が関連記事に掲載されているのですが、これを全国民に対して実施しようというのはなかなか野心的です。しかし先進的とはいえ、なぜここまでの手間をかけてUIDを付与しようというのか――ちょうど先月、日経ビジネスオンラインでも同プロジェクトについて解説した記事がありましたので、以下に引用しておきましょう:

共通番号、万能ではない (日経ビジネスオンライン)

インド政府は国民の名前、住所、性別、誕生日に加え、顔写真、目の虹彩、手の10指の指紋といった生体情報の収集・管理を進めている。通称「AADHAAR(アドハー、英語のFoundationやBaseの意味)」と呼ばれるプロジェクトで、2010年秋から始まり、既に7000万人が生体情報を登録してIDカードを取得しているという。政府は2015年内にも、6億人にIDカードを付与する計画だ。

「アドハーは規模が大きく、技術的にも先進的な公共プロジェクトとして世界中から注目を集めています」。アクセンチュアで公共サービス・医療健康本部の責任者を務める後藤浩エグゼクティブ・パートナーは指摘する。アドハーの狙いについて後藤氏は、「インドには戸籍システムがないため、銀行口座を開設したり、携帯電話を契約したりすることができない人がいます。社会保障を受けられない人も少なくない。本人確認のための信頼できる個人認証インフラを整備すれば、こうした問題を解決できる。その結果、これまで経済活動に参加できなかった大量の人々が市場に現れ、インドのさらなる経済発展につながると期待されているわけです」と説明する。

この点はEconomist誌の記事でも解説されているのですが、現実には存在していながら公的組織からは「見えない」、すなわち正確な情報として把握し切れていない住民がインドには多数存在するとのこと。そのために生活保護の不正受給なども発生しており、経済活動に参加できないばかりか、無駄な支出の原因となるという政府にとってマイナス状態が続いていたわけですね。

しかし虹彩や指紋という、個人の体と結びついたUIDが発行されれば、これまで「幽霊」だった人々が資源として生まれ変わります。Economist誌の記事では、より具体的な話としてこんな例が:

Companies—and their customers—stand to gain from the system too. Mr Nilekani talks of India stealing a march on other countries if firms have an easy, secure way of identifying their customers. Banks will be more likely to lend money to people they can trace. Mobile-phone firms will extend credit. Insurers will offer lower rates, because they will know more about the person they are covering. Medical records will become portable, as will school records. Ordinary Indians will find it easier to buy and sell things online, as ordinary Chinese already do. Just as America’s Global Positioning System, designed for aiming missiles, is now used by everyone for civilian navigation and online maps, so might UID become the infrastructure for India’s commercial services.

企業やその顧客も、IDシステムからの恩恵を受ける立場にある。Nilekani氏(※AADHAARプロジェクトの推進者、Nandan Nilekani)は、顧客を容易かつ安全に識別する方法を企業に提供できれば、インドは他の国々を追い抜くことができるだろうと語る。顧客の追跡が可能になれば、銀行はもっとお金を貸すようになるだろう。携帯電話会社も限度額を引き上げるはずだ。保険会社は顧客についてより深く把握できるようになるため、保険料率を下げるだろう。医療記録や成績記録も扱いやすいものになる。インド国民は(既に中国国民が行っているように)オンラインで売り買いするのが楽になるだろう。米国のGPSがミサイルシステムのために設計されながら、いまや民間のナビゲーションシステムやオンライン地図に利用されているように、UIDもインドの商業サービスを支えるインフラになるかもしれない。

実際にJharkhandという地域で始まったパイロットプロジェクトでは、UIDが銀行口座に紐付けられ、政府から何らかの支払いがある場合には、その口座に対して電子振込が行われるとのこと。こうした個人単位での電子的な取引が容易になれば、ネットを通じて世界経済と繋がることも可能になるはずです。クラウドソーシングという言葉が現実の取り組みとして行われるようになっている現在では、このことは大きな意味を持つことでしょう。

一方で当然の話ではありますが、プライバシーの侵害など、個人情報をどう保護するかといった観点からプロジェクトに反対の立場を取る関係者もいるとのこと。この問題は決して小さい話ではなく、技術的・制度的対応を十分に進めておかなければ、UIDを拒否するという動きにつながりかねないでしょう。しかし前述のような「幽霊」国民の存在と、UIDがもたらすメリットを考えれば、この先進的なプロジェクトをいち早く進めるというインド政府の決断も理解出来るのではないでしょうか。

国民の力を、経済力に変えるということ。日本でも様々な取り組みが行われていますが、人々と経済を結びつけるという発想に立てば、「IDを与える」という(一見)些細な対応でも十分に効果があることを発見できるのかもしれません。

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