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【書評】ハチはなぜ大量死したのか

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昨日まで元気に見えたミツバチが、ある日突然、原因不明の大量失踪を遂げる。CCD(Colony Collapse Disorder、蜂群崩壊症候群)と名付けられたこの問題、以前から日本でも報道されていたので、耳や目にしたことがあるという方も多いでしょう。『ハチはなぜ大量死したのか』はこのCCDをテーマにした本で、こちらも以前から書店で平積みされていたのでご存知の方が多いはず。手に入れてしばらく積ん読状態だったのですが、ようやく読了しました。

結論から言うと、この本を読んでも「ミツバチはなぜ大量死したのか」という問いに対して明確な答えを得ることはできません。CCDはあくまでも現在解明中の問題であり、現時点では「どうやら複合的な要因によって引き起こされているらしい」という説が有力であると述べられるにとどまります。そもそも本書の原題は"Fruitless Fall"(実り無き秋)であり、徹底的な原因の究明・処方箋の提示を期待していると肩すかしを食らうでしょう。

しかし、だからといってこの本を読む価値がゼロだというわけではありません。個人的には、本書は「あるシステムがいかに簡単に崩壊し得るか」というテーマを、ミツバチとそれを取りまく農業というシステムを題材に追求した本だと感じました。とにかく現代の農業が、いかに巨大な(そして思いも寄らない)脆弱性を抱えているか、そしてそれは何故かということが徹底的に描かれます。

簡単に言ってしまえば、農作物を得るためには受粉というプロセスが必要になります。もちろん風媒など昆虫の力を必要としないケースもあるものの、現代のビジネス化された農業の多くでは、ミツバチによる受粉が欠かせない状態になっているとのこと。そこでミツバチは受粉というプロセスを最大限にこなせるように品種改良され、(ニーズのある季節・地域に合わせて)自然状態ならばあり得ないような大移動を強いられると共に、薬物や栄養剤を大量に投与される、と。そこにあるのは「効率性」という視点だけであり、自然界に備わっていた復元性というのりしろ(多様な個体差が存在することなど)は、「ムダ」や利益追求の妨げになるものと認識され排除されていくこととなります。それが行き着くところは、ほんの些細なトラブルでも受け止めることができず、システム全体が崩壊してしまう状態――それがCCDであるかどうかは定かではありませんが、たとえ今回がしきい値を超えていなかったとしても、今そのリスクが非常に高まっている状態であることが本書を読むとよく分かるでしょう。

本書ではこの点について、船の転覆を防ぐというケースを例に挙げてまとめた箇所が登場します:

システムを効率性ではなく復元力の観点から運営するということは、予期せぬ転換点にめったなことでは到達しないですむように、底を重くすることだ。これには、バックアップシステムやファイヤウォールを維持して、「不測の事態を予測する」ことが欠かせない。短期間の収益を犠牲にしなければならなくなることも多いだろう。さきのヨットの例をひけば、帆を小さくしてキールを重くすることで、より復元力に富む船にすることができる。両方とも船を垂直に保つことに資するからだ。けれども、スピードは犠牲になる。このヨットは、前より風を効率的に利用できなくなり、レースでは、もっと大きな帆を張った軽いヨットに負けてしまうだろう。ただし、嵐に巻き込まれた日、このヨットのクルーは、転覆した軽いヨットのクルーの命を救うことになる。

ほとんどのビジネスは、このような復元力のための手段をとることを忌み嫌っている。ビジネスでは「景気がいいときに収益を犠牲にすること」など決してしないから、やりたくても株主がそうさせないのだ。私たちの文化を支配しているのは能率主義だ。企業は、あらゆる無駄を省くために、合併を繰り返して、人員削減を行う。そして効率という名のもとに、できるかぎり外注を使う。けれども自社部門を廃止して仕事を外注に出す過程で、そこにあることも知らなかったサポートシステムまで切り捨ててしまうことがある。

過去数十年間にわたり、私たちは農業システムにおいて効率化を極限まで推し進めてきた。そのために復元力を犠牲にしていることなど一切無頓着だった。家畜(ミツバチも含めて)は、厳格に管理された肥育場に入れられ、一度に数千匹もが機械で餌を与えられる。これは見事に効率的でコスト効果の高い方法かもしれないが、それも抗生剤のきかない新たな感染症が頭をもたげ、家畜を殺し始めるまでのことだ。このとき突然、人里離れた有機牧場の牛がもっとずっと価値あるものに見えてくる。

局部における効率性の追求がシステム全体の脆弱性を高めるという議論は、以前ご紹介した本したたかな生命』でも語られているテーマです(こちらでは復元力/復元性という言葉の代わりに、ロバスト/ロバストネスという言葉が登場していました)。蛇足気味に前回のエントリから抜粋しておくと、

  1. 吉野家は、アメリカ産のショートプレートという種類の牛肉だけを扱うことで、価格と品質で圧倒的な競争力を得ていた。
  2. しかしBSE問題により、仕入れルートが寸断されてしまう。
  3. 吉野家はこの危機に対し、メニューを多様化することで対抗した(環境変化に対するロバストネスを得た)。しかし以前有していた競争力は失われた。

というように、ビジネスにおいても普通に見られる問題なわけですね。いやむしろ、自然な状態に存在している復元性/ロバストネスを、システム全体を崩壊させることなくどこまで犠牲にできるか(効率性のために)というのがビジネスの本質なのかもしれません。であれば、本書がミツバチの失踪という事件を題材にして考察したテーマは、ビジネスが何の制約もなく利潤を追求しようとする場合に必ず起こり得る問題なのではないでしょうか。その意味で、本書は単にミツバチや養蜂業の危機を訴えるだけでなく、私たちの社会全体が抱えるリスクについて注意を向けさせるものだと感じています。

余談ですが、この本を読み進めている最中、親戚のおばさんが「ウチの畑でもハチがいなくなって、作物の出来が悪くなった」と話をしているのを耳にしました。巻末の「訳者あとがき」によれば、日本ではまだ比較的CCDの被害は軽度とのことでしたが、対岸の火事などと考えている余裕は無いのかもしれない……と背筋が寒くなった次第です。

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