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リセット思想の誘惑

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いきなり娘の話で恐縮ですが、彼女は積み木で思った通りの形ができないと、ムッとして全部バラバラにしてしまいます。積み木レベルの話であれば、思い通りにならなければ最初からというのもありかもしれません。しかし国家レベルの問題にそんな「リセット思想」で望む、というのはどうでしょうか:

今、日本に必要なのは“第3の開国”――ジャーナリスト立花隆(後編) (Business Media 誠)

先週<前編>コメントさせていただいた、ジャーナリスト・立花隆氏へのインタビュー記事の後編です。この中で、立花氏は以下のように述べています:

――ドン底まで行かなければ日本再生は難しい、と

立花 そうですね。1945年の敗戦時のように、この国のシステムを根本的に解体して、組み直すぐらいのことをしないとダメだと思います。

 そしていま必要なのは“第3の開国”です。文化的、社会的に“開国”して、人材を広く海外から迎え入れることです。各界で起きている危機的人材不足を補うためにも急ぐ必要がありますが、これは日本人と日本文化の海外雄飛にもつながるという視点が必要です。

 もしこの必要性が理解できないとしたら、日本の危機をまだまだ自覚していないと思う。そのためには日本はもっとダメになったほうがいいのかもしれない。

「海外から人材を取り入れよう」という部分については賛成なのですが(取り入れた人材をどう活用するかという戦略まで無ければいけないけれど)、問題は「この国のシステムを根本的に解体しよう」という部分。確かにいったんゼロから始められれば、いま目の前にある問題もなくなり、以前よりも良い状態を作り上げられるのではないかという気にさせられます。しかし、本当にリセットするのが唯一の道なのでしょうか。

リセットしてしまえば、無くなるのは悪い部分だけではありません。いままで上手くいっていた部分や、他国に比べて優れていた部分も無くなってしまいます。そして本当は何が良くて何が悪かったのか、根本的な問題を追求するチャンスも失われてしまうでしょう。さらにいったんゼロにしてしまったら、当然ながら再構築には膨大な時間がかかることになります――他国や他企業といった競争者がいる領域では、まごまごしている間においしい部分を全て持って行かれてしまうでしょう。

そもそも「根本的に解体して組み直す」とは何なのでしょうか。例えば企業でも「イノベーション」という言葉を旗印に掲げるところが多いですが、それは「私達は新しいことをやります」と言っているだけで、具体的にどんなことをするのか何も言っていません。私達は神ではないのですから、完璧なものを創り出すことなど不可能でしょう。であれば、新しく生み出されたものにも、何らかの問題が含まれているはずです。その時、私達はもう一度リセットしなければならないのでしょうか?

別にこのインタビューは論文か何かを書くためのものではなく、おそらく立花氏も「いったんリセットするぐらいの気合いで臨まなければいけない」ぐらいの軽い気持ちで発言されたのかもしれません。しかし影響力のある人物が軽々しくリセットを唱えるのはどうかと思いますし、将来像も示さずに「いっそのこともっと悪くなれば良い」などと発言されるのは責任放棄ではないでしょうか。またゼロベースで思考しなければならないという話なら、何も本当に壊してしまう必要はなく、「あるべき姿」を想像してから現実との乖離を探るというアプローチもあります。現実は積み木のように簡単ではないのですから、患部がどこなのかを正確に見極めて除去し、あとは既存のシステムを何とか使い回すというのが最初に考えるべき手段でしょう。1945年の敗戦時だって、米国は天皇制というシステムをリセットすることはせず、それを使い回す道を選択しているぐらいなのですから。

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