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誰もが映画監督

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昨日と同じく、朝日新聞の(紙面だけの)記事になりますが。僕はまったく知らなかったのですが、アフリカのナイジェリアで映画産業が盛んになっており、市場規模は450億円・年間作成本数は約2,000本にまで達しているとのこと。最近ではナイジェリアの「N」とハリウッドを組み合わせて、「ノリウッド」と呼ばれているのだとか。以下、引用部は朝日新聞10月15日号からのものです:

ラゴス大学のデュロ・オニ教授(芸術)によると、ナイジェリアでは60年代から映画が作られていた。ただ映画館にかかるのは米国の西部劇など外国映画が多かった。しかし80年代のクーデターで経済が崩壊すると、輸入も国内製作も難しくなり、治安悪化で映画館の廃館が続いた。映画監督はテレビドラマに移り、映画産業は消滅しかかった。

ところが90年代に入ると、安価なビデオプレーヤーやVCDプレーヤーが家庭に普及し始めた。高画質で撮影できるホームビデオカメラも発売され、高額なフィルム専用カメラでなくても簡単に撮影できるようになった。

さらに海外で働くナイジェリア人が一時帰国した際、ノリウッドのVCDを持ち帰ったのをきっかけに海外でも広がり始めた。欧州ではアフリカ映画専門のチャンネルがノリウッド映画を取り上げ、ロンドン郊外のアフリカ人が多く住む地区ではVCDが店に並ぶ。アフリカの娯楽に飢えていた世界中のアフリカ人社会で人気に火がついた。

とのこと。ちなみに撮られているのはSFX満載の超大作!というわけではもちろんなく、恋愛や家族愛、部族間の争い、立身出世物語、汚職など、ナイジェリアの日常が題材となっているそうです。この点について、ナイジェリア国民から「サー・K」と呼ばれる人気監督、キングスリー・オゴロ氏のコメントが紹介されています:

「ここではだれもが映画監督だ。ちょっとした日常のできごとをだれかに伝えたいと思ったら撮ってしまう。無から作り出されるマジックなんだよ」

もちろん「映画撮影の手段が簡単に手に入るようになった」という点はナイジェリアだけの現象ではありませんから、「ハリウッドから映画を手に入れられなくなった」「海外に紹介されるきっかけがあった」という点もノリウッドの登場に欠かせない要素だったのでしょう。しかし低予算で映画が作成できるようになったことで、「誰でも映画監督」という状況が生まれていることは注目に値すると思います。

この記事を読んで、先日観た"Be Kind Rewind"(レンタルビデオ店お決まりのフレーズ「巻き戻してからご返却下さい」の意味。邦題はなぜか「僕らのミライへ逆回転」)という映画を思い出しました。ふとした事件がきっかけで、主人公たちがハリウッド超大作のリメイク版を手作りしたところ、粗雑だけれどクリエイティビティ満載の内容に人気が出て……という話。はっきり言って「ありえない!」というストーリーなのですが、皆が協力して映画を撮るシーンが非常に楽しそうで、「中身のないハリウッド超大作を観るより、みんなで低予算映画を創るほうが楽しい!」というメッセージが強く伝わってきました。実際、作品をまねて名作のリメイク版(作品の中で「これはスウェーデンから輸入されたものだ!」と誤魔化すことにちなんで、"Sweded"と呼ばれています)をつくる人々が続出し、YouTube にも多数の Sweded 作品がアップされています。

そういえばこの度、コンテンツ学会なるものが創設されるということで、オルタナブロガーの方々もレポートを書かれています:

コンテンツ学会はそこいらの勉強会に勝てるかな
メモ:「コンテンツ学会」設立記念シンポジウム模様

コンテンツにかかわる学術的研究や人材育成、産官学の連携の推進を目的としているとのことで、参加者も錚々たる顔ぶれ。もちろんこうした公的・組織的な動きが生まれることは、日本が誇るコンテンツ・ビジネスにとっては良いことだと思います。しかし何というか、「コンテンツ=すごいもの・ありがたいもの」という意識が過度に進んでしまい、コンテンツを生み出すことが身近な行為でなくなってしまわないように注意して欲しいと願います。ニコニコ動画を例に出すまでもなく、いま日本のコンテンツに活力を与えているのは、プロによる作品だけではないのですから。

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