書評『Every Breath (エヴリブレス)』
岡田有花さんが瀬名秀明さんにインタビューされた記事を読んで、『Every Breath (エヴリブレス)』を買ってきました。
■ 瀬名秀明に聞く「仮想世界」「ケータイ小説」「初音ミク」 (ITmedia News)
普段は恋愛小説など決して読まないので、奥さんにビックリされてしまったのですが(さらに「恋愛小説に付箋を付けながら読む人なんていない!」とのツッコミが)……。瀬名さんは東京大学のOCW「進化生態情報学」の第7回にゲスト出演されていたのを見て以来、気になっていた作家さん(という肩書きで表現して良いか分かりませんが)の一人でした。そして今回の作品では仮想現実をテーマにしたと知り、早速読んでみることに。
以下、本作品および映画『ソラリス』のネタバレを含みますので、ストーリーを楽しみたい方は後日お読み下さい。
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『攻殻機動隊』の世界で、『ソラリス』のラブストーリーを再現した物語。読み終えた直後に心に浮かんだのは、そんなイメージでした。ただしそれは、これらの作品の焼き直しという意味では決してありません。話はあちこちの時代にジャンプし、さらに現実と仮想の世界が入り交じって展開するのですんなりと読み進むことはできないのですが、考えさせられることの多い本だと思います。
Second Life のような、しかし限りなく現実に近い仮想世界が登場し、その中で実在の人間をコピーした人工知能が生活を始めたらどうなるか――これが本書を貫くテーマの1つです。作品中に登場する仮想世界「ブレス」では、アバターを作成する際にPC内に保存されていたデータがスキャンされ、自分そっくりの行動をする(ユーザーが操作していない間は勝手に行動する/ユーザーの死後もアバターは「生活」を続ける)という設定になっています。その後はユーザーがアバターを操作すること、もしくは「ブレス」の外でユーザーが行った行動をデータとして取り込む(この行為を「共鳴」と呼んでいます)ことで現実世界の人間とアバターとの間の整合性が保たれることに。
こんな設定、SFならではの荒唐無稽な話と思われるでしょうか。しかし既に、
- Second Life に美しい空を描くことが可能になっています。
- ブログの記事からブロガーの性格判断をしてくれる「emo (エモ)」というサービスが登場しています(ちなみに僕はこんな性格だそうです)。
- 以前 Polar Bear Blog でも触れたのですが、京都大学の西田豊明教授らが、本人に代わって質問に答えてくれる「分身」をコンピュータ上に作る技術を既に開発しているそうです。
さらに最近では、Twitter などのツールを使って「ライフストリーム」を行うことが一般的になりつつありますから、日々蓄積されるデータから実在の人間のコピーとなる人工知能を作り出す……というのも近い将来可能な話ではないでしょうか。
では、実物そっくりの仮装世界に、実物そっくりのアバターが登場したら、人々はどのように感じるのでしょうか。物語はこの問いかけを出発点として、現実とは何か、生命とは何か(シュレーディンガーの『生命とは何か―物理的にみた生細胞』までが引用されます)といったテーマにまで話が及びます。最近、『生物と無生物のあいだ』を始めとして「生命とは何か」をテーマにした本に人気が集まりましたが、本書もその延長線上にあるものとして読めるかもしれません。また僕が攻殻機動隊を持ち出したのは、「全人格をネットにアップロードしたら、それは自我を維持しうるのか」「人工知能にゴーストはやどるのか」といったテーマを連想させるところがあったため。その意味で、本書は読む人によって感じ方が大きく異なってくるように思います。
派生テーマを深掘りするのも楽しいのですが、話を元に戻して。この「実物そっくりの世界に、実物そっくりのアバターを生活させることができる」という技術によって、本書で描かれる未来では、仮想世界が一種の「平行世界」のようになっていきます。そうした平行世界では、例えば自分が現実とはまったく異なる職業で生計を立てていたり、叶わぬ恋を成就させていたりします。そして平行世界に「ラジオのチューニングを合わせるように」ログインすることで、人々は別世界での人生を楽しむようになる――というのが、瀬名さんが出した一つの答えです。
では主人公である杏子という女性が下した決断は、というと、それとは全く逆のものでした。彼女はある日を境に「ブレス」にログインすることを止めるようになるのですが、その理由は、彼女が仮想世界での自分に「人格」を認めるようになったため。その人格や、アバターが営んでいる生活を邪魔したくないという想いから、自分が生きている間は「共鳴」はしないと決断する姿が描かれます。仮想世界の中だけに存在する、いわば実体を持たないロボットのような存在であるアバターに、独立した人格を認めるのは論理的なのかどうか。この反応には賛否が分かれるところでしょう。
物語のラスト。杏子は亡くなり、彼女が遺したデータが子供達の手によって仮想世界に「共鳴」され、アバターである杏子に反映されます。そして仮想世界の中で、彼女はかつて想いを寄せていた相手と共に、幸せな暮らを永遠に続けていくこととなります。映画『ソラリス』のラストでも、惑星ソラリスが生み出した幻影(主人公の思い出を再現した世界)の中で、これまたソラリスが再生させたとおぼしき主人公(オリジナルの主人公は宇宙船の崩壊に巻き込まれてしまう)が妻と幸せな生活を送るというシーンで終わるのですが……果たしてこれらは、ハッピーエンドと捉えるべきなのでしょうか。それともオリジナルを喪失したコピーが繰り広げる、永遠に続く無意味な行為=悲劇と捉えるべきなのでしょうか。この点についても、コピーがどんな存在であるかという捉え方によって、導かれる結論は異なってくるはずです。
個人的には、『エヴリブレス』も『ソラリス』もハッピーエンドだと感じています。仮にコピーだったとしても、コピー達がオリジナル達の定義とは異なる形で「幸せ」を感じているかもしれませんし、そもそもオリジナルの継続としてコピーを評価することが妥当かどうかという問題もあるでしょう。ただ、自らがそんな状況に置かれたらどう感じるかは分かりません。攻殻機動隊のように、自分の人格のすべてをネット上にアップできるようになったとしたら、ネット上にコピーした人格を「自分の延長線上にあるもの」として安心して死ねるのかどうか――いまの段階でそんな心配をしても仕方ないのですが、それを考えることで、自分とは何かを捉え直すことにつながっていくでしょう。
ということで、『エヴリブレス』は1つの大きな思考実験としても読めると思います。Second Life や『電脳コイル』といったキーワードに関心のある方、また前述の『生物と無生物のあいだ』を面白く読んだ方なら、興味深く感じる点が多いに違いありません……という締めにしてしまうと、ウチの奥さんから「せっかく恋愛小説を読んだのに!」と怒られてしまうので述べておくと、普通の恋愛小説と捉えても「いま、会いにゆきますを超えた!」と自信を持って言えると思いますよ(笑)。
「志保さん、好きな相手を喪った人に、なんて言葉を掛ければいいんですか」
桜井さんがいった。
「言葉よりも、ただそばにいてあげることしかできないと思う。」
「でも、このキャラクター、他の人に触れないんです」杏子は悔しくて目を瞑った。「誰かを抱きしめてあげることもできないんです」
ここは、しょせん男性のつくった仮想の世界だ。
個人的には、この箇所にウッときました。瀬名さんはロマンチストなんだなぁ、と改めて思います。