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マスコミの本質は「電波」や「新聞」という大量配布媒体(マスメディア)であること

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マスコミの本質は、大量(マス)配布媒体(メディア)なところでしょう。同義反復ではありますが、日本で「マスコミ」と名づけられ、第三の権力として神聖視される中で、原義が忘れられていたことを実感しました。そう気づいたのは、NHKの番組「激震 マスメディア~テレビ・新聞の未来~」を見つつ、元NHKで上武大学教授池田信夫氏のツイートを拝見してのことです。

http://twitter.com/ikedanob/status/10874296399

Twitter / 池田信夫: 問題はコンテンツじゃなくて、電波利権や再販制などによ ... via kwout

結局のところ、「マスコミの力」として第三の権力とも恐れらてきた力の源泉は、絶対数とか地域シェア的に見て多くの人に、情報を届ける媒体だからです。そしてその源泉は、放送電波の免許や戦時体制で寡占化が進んで数が整理された新聞社というあり方が補強してきました。

希少な資源を使えたお陰で、高い社員の給料を払いつつ利益をだせたのです。

テレビや新聞を見ない若い世代の台頭は、従来型マスメディアの存在意義を薄めつつあるのは確かです。しかし、そうはいっても放送電波や新聞は「大量配布媒体」として大きな情報伝達の「帯域幅」を持っています。番組中で光ファイバーが過疎地域にまでいきわたるには至っていないと指摘がありました。確かに放送電波の方がより国の保護や投資を受けて届かない地域をなくす努力がされています。

しかし、国民のニーズはどこにあり、国の競争力の維持発展の源泉はどこに置くべきか、どう重点的に投資すべきか?と考えた時に、電波の利用を放送からネットなどで使う通信に再配分するとかいう社会政策が必要でしょう。池田氏が電波利用料や電波オークションに高い関心を寄せられ語られてきたその本質がやっと腑に落ちました。

「電波使用料に一番多く払える事業体が一番その資源を有効利用できるはず」それは、競売、オークション、市場取引といろいろな呼び名を持ち社会で広く使われています。マスコミの抱える問題は、資源の最適配分や適正な競争でより優れた企業が勝ち残り、希少な「マス(大量)メディア(媒体)」を使えるようにするかにかかっていると思います。「そんなことは怖い」という意見も分かりますが、過剰な保護や国策による縛りで今のテレビ会社や新聞社を「死に体」にして維持していけるほどこの日本に余裕は無いと思うわけです。

お断り:

本ブログでの坂本英樹による投稿やコメン トは、あくまで個人の主観に基づくものです。現在および過去の勤務先の意見や見解を表すものではありません。

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