2種類のサマリー Indicative vs Informative
かつて、要約本舗という名のサイト、有料サービスがありました。
新刊書、特にビジネス書などを数ページに要約し、それを数分で読めば、数百ページの書籍を買い求めて時間をかけて読まずともすむようにする、というサービスでした。
前回書いた「把握・理解に要する時間の短縮!」を見事に達成したサービス、ということができます。しかし、このサービスは、今、影も形もありません。作家連盟(?)だか、任意の何名かの書籍の著作者から著作権違反で訴えられ、彼らの主張が認められたからです。ほとんどの人が、そりゃそうだろう、と、原著作者に味方しました。原著作者に無断で、ゆえに対価も払わずに収益を上げつつあったからです。
まぁ、直感で一言でいえば「泥棒」でしょうね。著作権法はそれを理論的に支えるべく、妥当な処置と処罰を決めたもの、という感覚を多くの人が共有できると思います。
要約本舗側にもある種の著作権はありました。要約の類は、現著作物を前提として何らかの表現行為により作成された2次著作物だからです。
さて、肝心な点です。要約であればすべては犯罪なのでしょうか?
それは違うでしょう。前後や中途の切り詰めをしながら49%以下の文字量を「引用」することは著作権法も認めています。引用には事前の承諾も対価の支払いも不要です。上記の量的比率や原著作物を一意に辿れるメタ情報の表示など、引用の正当な慣行を守っていればokです。
実質的な境界線がどこにあるか?と問うなら、表記の識別、「2種類のサマリー Indicative vs Informative の違い」にある、と考えることができます。前者は、「これがどんな著作物であるか、サマリーの読み手に十分な判断材料を与えるもの」。もっといえば、「この原著作物を入手して(主に買い求めて)原文を読むべきかどうか(その人にとって読む価値、必要があるか)判断するに足る、(ごく)少量の情報を含むものが、Indicative Summaryです。
これに対し、Informative Summaryは、原文の要点を簡潔に記載し、ほぼ全ての大事なポイントを網羅しているので、現著作物の入手と咀嚼を不要にしてしまいます。現著作物が冗長で、つまり、長いだけで読みにくいものであれば、「把握・理解に要する時間の短縮 」に成功したInformative Summaryは、原著作物より優れたもの、といえるでしょう。文学作品ならともかく、ビジネス書などでは明らかに優れている、と言ってよいでしょう。
こう考えると、要約本舗のコンテンツは実に優秀なものだったのであり、また、多忙なビジネスマンに福音を与えるべく、まじめに努力して、原著作物の【改良】に励んだ成果物で対価を得ようとしたビジネスだった、との評価もありえます。しかしもちろん、Informative Summaryであるが故に、原著作物を売れなくしてしまう効果を意図し、実際に発揮しかけていたわけです。法的にも同義的にも、原著作者に対価を払わないというのはありえません。
要約本舗がなくなって一番不幸だったのは、潜在読者たるサラリーマン達だったともいえます。Informative Summaryという優れものの創作を奨励し、Win-Win-Winでみなが益をシェアする方向が議論されなかったのは残念、といえましょう。
かたや、Informative Summaryの多くは、著作権法上問題がないどころか、原著作物の売れ行きを向上させる意図と効果をもったものとなります。したがって、原著作者から対価を受け取るべき、という、まったく逆方向の金流、ビジネスを誘発するものでしょう。このあたり、十分な理解と共感を得られれば、さまざまな著作物の流通が促進され、必要な人に出会えるようになり、その好循環でオリジナル著作物や派生著作物の制作を促進し、ひいては、人類全体の幸福に寄与する、という【本来の著作権法の目的、精神】の実現に近づく、と考えられます。
「要約本舗」で検索しても、私の6年前のブログくらいしかまともにヒットしません。
上記のような考察、議論をもっと活発化できなかったのは、日本社会の知的活性化を沈滞させる、不幸な出来事だったのではないでしょうか。