『八重の桜』川崎尚之助の死
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今日の放映で川崎尚之助が死に、めでたく八重は新島襄の求婚を受けるという流れに(いささか急展開で)なったわけですが、番組のあと、川崎尚之助が斗南藩(旧会津藩)のために米を外国貿易商から買い入れようとして横領にあい、しかも米の値が急落したため、巨大な借金を抱え、訴えられて東京で拘束されていた話があった。じつは、この話、以前ブログで紹介した『ある明治人の記録』の主人公、柴五郎の長兄・太一郎の話として出てくる。そのため、この話をフィクションで川崎の話に援用したのだろうと思い、周囲に何度かその話をしてしまった。で、ちょっと調べてみたら、柴太一郎は川崎尚之助ほかとともに、この事件で訴訟されていて、同じ目にあっているらしいとわかった。川崎がこの時期、肺炎で亡くなったのも事実らしいが、八重が一度東京に会いに行ったのは、どうやら事実ではないらしい。うーん、脚色と歴史の関係はなかなかむずかしい。
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