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夏目房之介の「で?」

日本マンガ学会大会の発表

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昨日(20日)、新中野の東京工芸大学芸術情報館で研究発表があり、そのうち三浦知志(東北大博士課程)「『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』における初期コミックストリップ」、森田直子「ロドルフ・テプフェールにおける〈ステイタス〉の問題」の二つが聞きたかったので、参加。そしたら三浦さんの発表後の質疑でジャクリーヌ・ベルントさんが突然「夏目さん、コマについて一言」とマイクを渡された。三浦さんの発表は、コマと吹き出しの存在で米コミック・ストリップの成立を定義する部分があり、ちょっと雑だなと思ったので、僕らが日本マンガ論の「コマ論」の言説に歴史的に包括されている、ということを指摘したくてもごもご話した。多分、僕が何をいいたかったか、わからない人も多かったと思うでの、ちょっと補足的に書いておく。

 日本のマンガ論は、60年代にマンガの青年化に伴い鶴見俊輔、石子順造ら知識人層と青年読者層の発言からさかんになり始める。68年頃、ガロから佐々木マキらがあらわれ、COMで石森らの実験があり、峠あかね(真崎守)がCOM誌上で「マンガとはコマなのだ」と宣言する。手塚が映画的手法を云々の言説もほぼ同時期に成立するみたいで、おそらくここで「コマ」がマンガ論の中で「発見」されたとのだと思う。この流れを10代読者として経験した僕や同世代のマンガ好きが、やがて80年代以降のマンガ論言説を形成する。その結果、現代マンガに繋がるマンガ、コミックの形式をコマで定義する表現論にたどりつく。が、じつのところコマに相当する形式は吹き出し同様、歴史的にはかなり古い。どこが、どう、近代性であり、現代性なのか、という説明抜きだと、まるで19世紀末に突如米国にそれらが現れたように聞こえてしまう三浦発表の部分について、僕は「いや、多分そこは日本のマンガ論で当たり前のようにコマを現代マンガの要件としている言説の類型を無意識に踏襲しちゃダメで、米国の既存研究で連続コマとバルーンが定義要件になっていることも一度疑ってかかったほうがいいと思う。そうすれば、凄く面白い研究対象のはずだよね」ということをいいたかったのだった。舌足らずだけども、そういう感じのことをいいたかったのでした。
 同じ東北大の森田さんが、そのあと発表したテプフェールが、まさにコマ連続を過剰な反復のかたまりとして提出したことによって画期的だったんじゃないのかなと・・・・。それって近代と反復・複製の問題なんじゃないか・・・・っていうのもあり。そのへん森田さんにも、もっと聞きたかったんですけどね。

その後、疲れたので自宅に一度帰って少し寝て、書の会へ。
http://d.hatena.ne.jp/Eggfarms/
http://d.hatena.ne.jp/nomurahideto/

で、本日(21日)は大学とマンガに関するシンポジウムで、第三部に参加。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/hyogen/manga-gakkai/katudou/taikai/2009taikai/index.html
第二部の竹熊さんが、猛烈に面白かった(笑 それに紹介された学生さんの「マンガ」の面白いこと!!
※竹熊さんのレジュメが「たけくまメモ」にUPされてる。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-5521.html#more

・・・・もっと書こうと思ったけど、疲れた。明日から夜話福岡収録の準備だし。

打ち上げでの呉さんも面白かった(笑

補足
※三浦さんの発表は、初期米コミックストリップのうち白黒の諸連載の変化を追った内容で、『ブックトート・ビルキンス』やウィンザー・マッケイ『レアビットの夢』など、ほとんど見る機会のない作品を目にすることができた貴重な発表でした。『柔術少年ジミー』なんてものもあり、1905年にすでに柔術マンガが連載されているというのも興味深い。見たかぎりでは、その柔術は人を紙のように振り回すもので、昔『ディック・トレーシー』のTVアニメに出てきたヤマダ警部の使ったのと同じ武道のようでした。

会場にいた大学生らしき人のレポートがありました。
http://d.hatena.ne.jp/my_you/20090621/1245601310
http://d.hatena.ne.jp/u-sen/20090621/p1

Comment(1)

コメント

マンガ学会の相当なお仕事、お疲れ様でした~。

 読んでいて、こりゃ1895年に始まったとか言う、アメリカのハースト系とピューリッツァー系の新聞が取り合って「イエロー・ジャーナリズム」の語源になったという「イエローキッド」の事とか思い出して居ましたけど。
 こりゃ、その前の“世界のマンガ大国”としてのイギリスの『パンチ』誌とかの研究もやっていかないと、“コマ”の論議って、日米英欧を含めて、発展して行かないかなぁ、と思ったり、感じてしまったりしたです。orz 大西洋間問題が、“コマ”(カット?ショット?)や“バルーン”(フキダシ)にあるんじゃないかと睨んでしまって…ちなみに英国と米国は共に“英語圏”ですが。

 フランスのオノレ・ドーミエとかジョルジュ・ビゴーとかは単コマというかむしろカリカチュアですよねぇ。そこから(そのまたフランス語圏の英国と同じく風刺の旧“世界のマンガ大国”としての伝統から。)どうやってBD(バンドデシネ)が誕生してくるのか、それは「コマ」と言っていいものか…?といったものも考えましたです。

 英仏と米の“大西洋間”のマンガの伝播か独立形成(双方伝統)の問題から、米と日との“太平洋間”のマンガの伝播か独立形成(双方伝統)の事まで頭に入れました。

 現代は再びフランス語圏が日本の“マンガmanga”を再発見か新発見する事によって、起きている“ユーラシア間”か、“インド洋・地中海間”の時代、あるいは、世界展開としての“六つの海(洋)”(南極海を除く南北大西洋・南北太平洋・インド洋・地中海)の時代、と言ってもいいのでしょうか?
 マンガ系メディア・ジャンルにとっては、少なくとも現在、日本(マンガ)と、アメリカ(コミック・カートゥーン)と、フランス語圏(BD・カリカチュア)の最少3つの大陸が有りそうですね。

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