【書評】『奪われた古代の宝をめぐる争い』:文明は誰のもの?
フランスのルーヴル美術館は、依然として人気の美術館である。年間約830万人ほどの来館者があり、海外から訪れる観光客も多い。そのルーヴル美術館のエジプト・コレクションには、来館者の度肝を抜くほど、ありとあらゆる美術品が展示されているという。しかしどれも、なぜルーヴルにおいてあるのか説明はない。
ルーヴル美術館が開館したのは1793年11月8日、フランス革命のさなかのことである。1794年以降、フランスの革命軍は新しく市民のものとなった宮殿を美術品で埋め尽くそうと、ヨーロッパ中から手段を選ぶことなく作品を集めるようになった。さらにナポレオン・ボナパルトの遠征が、新たな略奪の波を広げることとなる。エジプト遠征の際には、サヴァンと呼ばれる専門家を同行させ、さまざまな遺跡や財宝を手中に収めた。
そして今、時代は遷り変わり、ルーヴル美術館には、毎日のように出土国から返還要求が突きつけられているという。過去を奪われた元植民地が、美術品の返還要求をすることで、歴史を取り戻そうとしているのだ。そして、この問題はルーヴル美術館に限った話ではない。
本書に登場するのは、古代美術品の出土国であるエジプト、トルコ、ギリシア、イタリア、そして出所が物議を醸しているルーヴル美術館、メトロポリタン美術館、大英博物館、J・ポール・ゲッティ美術館など。両者の間で取りざたされている、古代美術品の返還をテーマに描いた一冊である。
◆本書の目次
プロローグ
PartⅠ ファラオも皇帝も
CHAPTER1 ザヒの天下
CHAPTER2 ロゼッタ・ストーンの発見
CHAPTER3 ルーヴルの失墜
CHAPTER4 デンデラの屈辱
CHAPTER5 2つの都市の物語 - ルクソールとパリ
PartⅡ ニューヨーク5番街の泥棒たち
CHAPTER6 リディアの秘宝を追いかけて
CHAPTER7 失われたリディア
CHAPTER8 メトロポリタン美術館
PartⅢ エルギン卿の遺産
CHAPTER9 大英博物館
CHAPTER10 ギリシア悲劇
CHAPTER11 強硬派
PartⅣ 不当な正義
CHAPTER12 ローマの復讐
CHAPTER13 マリオン・トゥルーの裁判
CHAPTER14 ゲッティ美術館の特異性
CHAPTER15 美術品返還の動きエピローグ
今、西洋の美術館が最も恐れている男が、エジプト考古最高評議会会長のザヒ・ハワスである。彼は5つの有名なエジプトの文化財について、一時返還を要求した。大英博物館にあるロゼッタ・ストーン、ベルリンのエジプト博物館が所有するネフェルティティの胸像、ルーブル美術館のデンデラの黄道帯など、異なる時期に異なる事情でエジプトから持ち去られたものだ。
ハワスの主張は、歴史はあるべき場所にあってこそ、出土した場所で管理されてこそ、美しいというもっともなものである。また、古代文明に対する国民の意識レベルを無関心から重宝へと、引き上げようとしている点でも優れている。意外なことではあるが、今日のエジプト人の多くはイスラム教徒であるから、多神教に基づいた古代エジプトとのつながりを自然に感じることは難しいのである。
一方で、返還要求を突きつけられた側にも言い分はある。例えば当時のエジプトについて今尚詳しい情報があるのも、ナポレオンおよびサヴァンの努力によるところが大きい。また、実態としてフランス人に牛耳られていたもののパルタージュと呼ばれる分有制度が、エジプト法において認められていた。その当時、エジプト人がエジプト学を学ぶのは許されていなかったのだ。さらに、混乱を極めていたエジプトにおける博物館の状況を考えると、古代美術品の管理能力があったかも疑わしい。
このように、国と国との争いのほかに、古代と近代という時間軸が交錯し、事態は混乱を極めている。解決への道のりは、領土問題のような難解さを内包しているのだ。論点は、文明とは誰のものかというところにある。
明らかなのは、略奪も含めて歴史の一部であるということであるだろう。例えば今ドイツのエジプト博物館で管理されているネフェルティティの胸像。一度はエジプトからの返還要求に、ドイツ側が応じそうになった。これに待ったをかけたのが、ナチスのアドルブ・ヒトラー。その胸像を一目見たヒトラーは、ネフェルティティの胸像に心を奪われてしまったのである。
余談ではあるが、ネフェルティティというのはエジプトで最も有名な女王で、紀元前1353年から1336年までエジプトを統治した第18代王朝のファラオ・アメンホテプ4世の王妃である。アメンホテプ4世とネフェルティティは従来の多神教を否定する宗教改革を行い、太陽神アテンを唯一神とする信仰アートン教を確立した。これがモーゼに伝わり、ユダヤ教となったという説もあるのだ。
※参考)『モーセと一神教』:ジークムント・フロイト著
つまり、ヒトラーはユダヤ教の原型を作ったかもしれないネフェルティティにご執心だったというわけだ。後のユダヤ人大虐殺は、ひょっとするとヒトラーのコンプレックスの裏返しだったのかもしれない。
文化とは交流することで、より価値の高いものになる。何よりも求められるのは、互いの非難ではなく、協力である。美術館側には入手経路の透明性が求められるし、出土国側は価値を見出した側にも一定のリスペクトを示さなければならない。互いにWin-WInの関係をもたらす、新しい時代へと踏み出すことを、強く望みたい。
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