マネジャーとして上手くいく人、いかない人の違い
「なぜ、そんなこともできない?!」
廊下を歩いていると、教授の大声がレッスン室から漏れ聞こえてくるのが音大です。
音大は、たいてい演奏の上手い人が先生になります。ある音大教授が「最近の学生は教えにくいよ。厳しく言うとすぐにやる気をなくす」とぼやいていましたが、その方自身がピアノの名手なので、デキない生徒の気持ちはなかなか分からないようです。
どこの業界にも似たようなことがあるのでは...と思っていましたら、お客さんから「うちの本部長は私たちがなんで出来ないか分からないみたいです」というような声をチラホラ耳にすることが増えてきました。
そういえばスポーツでも「名選手名監督にあらず」とよく言われますよね。
自分がデキてしまうがために、「こんなの普通でしょ」と思って他人にとっては厳しい指事や要求をしてしまったり、部下を物足りなく感じてお任せできなくなってしまったりする。
経営学者の松尾陸氏は以下のように言います。
プレイヤーとして優秀な人でも、マネジャーとして優秀とは限らないのです。さらに、課長としては優れているけれども、部長になるとダメなになる人もいます。このように、プレイヤー → ミドル・マネジャー → シニア・マネジャーと組織の階段を上がるときには、まったく別の世界が広がっていくといえるでしょう。
たとえば、今まで自分が手柄を立てることに目標を置いていたヤッターマン営業がマネジャーになったら、部下に手柄を譲ることも必要でしょう。ヤッターマンからヤッタネマンになる。自分が一歩退いて、一段高い領域から全体を見る目線を養わなければならないのです。
学生に「なぜこんな簡単なこともできない?」と言っていた天才ピアニストは、教授になったら才能の足りない人の気持ちを理解することも必要だと思います。デキない人なりに難しい課題に挑戦しているプロセスを評価する忍耐力もつけなくてはなりません。
新たなキャリアによりまったく別の世界が広がっていくからこそ、能力のストレッチが不可欠なのです。
このまったく別の世界とは、高い階層から見える景色のこと。プレイヤーからマネジャーに異動して上手くいく人は、職位だけではなく、一段高いところから違った景色を見ているのです。
【参考文献】
松尾陸『職場が生きる 人が育つ「経験学習」入門』ダイヤモンド社(2011年)