「物語は、キャラクターの首尾一貫性が必要」という話し
2012/2/18に日経プラスワンに掲載されていたコラム「私のひきだし 自分の都合で仕事しない」で、「下町ロケット」で直木賞を受賞された池井戸潤さんが以下のように書いておられます。
---(以下、引用)---
....物語の都合でキャラクターの性格や行動パターンをねじ曲げてしまうと、小説は破綻します。プロと呼ばれる作家の作品でも時折見られることですが、読者は見破り、読まなくなります。登場人物をただの人形と捉えるのか、人格を尊重するのか。この差は決して小さくありません。本質を見誤ってはいけません。
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相手が求めること、喜んでもらえることを最優先に考えるのが「本物」と呼べる仕事です。取引先はもちろん、上司や同僚から依頼されたことでも、何を必要とされているのかをまず見極めるべきです。私も顧客である読者がどういうことを考えているのか、想像しながら執筆しています。
---(以上、引用)---
このことは、「100円のコーラを1000円で売る方法」で色々な登場人物を描いていて痛感しています。
例えば、主人公の宮前久美がいきなり優等生発言すると、やはり好ましくないと思うのですよね。
あるいは与田誠が急に優しくなっても、「アレ?」って感じになると思います。
もちろん登場人物の意外な一面を描くことも必要ですが、ねじ曲げるのは良くないと思うのです。
「100円のコーラを1000円で売る方法」では、まずマーケティング理論に沿ってストーリーを組み立てました。
その上で、それぞれの登場人物のキャラクターをデザインしました。名前、年齢、性格、口癖、好きな食べ物、好きなファッション、住まい、家族、キャリア、好きな本や雑誌など、それぞれの登場人物毎に細かく作り上げました。いわゆる「ペルソナ」ですね。
そして、予め作ったストーリーの上で、読む方々が楽しんでいただけるように、それぞれの登場人物に演じてもらう、というアプローチで進めました。
ちょうど、ドラマのシナリオを書いて、キャスティングした上で、視聴者が楽しめるようにドラマを演じてもらう、といったイメージでしょうか?
現在書いている続編でも、同じ方法で書き進めています。
ちなみに、「100円のコーラを1000円で売る方法」のベースになった「朝のカフェで鍛える 実戦的マーケティング力」でも、宮前久美が出てきます。
しかし前作の宮前久美は、実は「超優等生」で首尾一貫しています。同じ宮前久美ですが、前作と今の本では性格が正反対なのですよね。
残念ながら前作は絶版になっていますが、もし機会があれば、両者を読み比べていただくと興味深いかもしれません。