日本の良さはどこにあるのか?
先週はパソコンが故障し、掲載を休ませていただいた。
この間あるフォーラムで、シリアをはじめとした紛争地の課題などの話を聞いていたが、その中にシリア出身のジャーナリストなど、東の方々がいて、日本の社会に見習いたいとの言葉を頂戴した。
それが何を意味するのか、東日本大震災で見せたお互いに助け合う姿、おもてなし、優しさ、などなのだろうかと思うが、とてもありがたい言葉だと感じるとともに、本当にそうだろうかという疑問も浮かんでくる。
けっして全ての日本人がということではないが、現代の日本人が相当程度他人を顧みず、利己的で、且つ自らを弱者と位置付けて権利だけを主張する国民になり下がってきているのは残念ながら事実だ。
安倍総理が、震災から5年経った今、復興元年にと話されたが、そもそも5年後に復興元年という言葉自体が、如何に政府が国民のことを考えていないかの証左ではないか?復興は、災害の直後から政府が全力を挙げて取り組んでいなければならなかったことであり、それがされたとは思えないし、ましてや原発について、相変わらず何も解明されていないのに、エネルギーは必要だという時代に遅れた命題に基づいてこれを推進するなどあってはならない。
危惧を感じるのは、せっかくまだ世界の方々から賞賛される何かを持っている我が国が、時代遅れの片面的な欧米的発想だけに相変わらず固執して、これを失っていくことだ。欧米が全ていけないという気は全くないが、彼らのやり方が中東の紛争を生み出した部分があることは否定できない。
また、欧米が信奉するキリスト教が、イスラム教との間で対立の軸になっている点も、完全に否定することは出来ない。だが、欧米が中心の時代は徐々に変わりつつあり、より多様な文化・宗教・民族の関わり合いが必要となってきている。
そこに、本当に欧米型の功利的な考え方だけで対応していけるのか?奇しくも、企業統治に社外役員が有効だとの報告が出されたようだ。もちろん社外役員がいれば、多少は異なる視点からの意見は聞けるだろう。だが、村社会型の企業が大多数を占める我が国において、社外役員として機能する人間がどれだけ育っているというのか?
結局、専門家と称される会計者や弁護士がなるわけで、彼らは経営のプロではない、したがって、そうでなくとも冒険をしない我が国の大手企業において、守りの部分だけが強調されることにならないか?ましてや、では、有能な社外役員がいたとして、彼らが本当の意味で企業に貢献するために会社側の体制、つまり必要な情報を提供する仕組みは出来ているのか?
社外役員制度を100%否定するつもりはないが、コーポレートガバナンスコードなどを作り、更にこのような報道を行って、そもそも経営の理念が異なる我が国の企業に、社外役員を事実上強制するという政策自体が、欧米自身が資本主義自体に疑問を感じ始めているこの時期に時代遅れであり、益々我が国の産業の力を低下させるということが何故わからないのか?
制度を導入するにしても、その本質を見極め、社会に適した形で進める必要があるが、常にただ欧米に言われるがまま、制度を移植しようとするこの何十年かのやり方が、結果としてこの先に何の方向性も見えない我が国を作り出したのではないか?今一度、自分たちの置かれた場所、自分たちの特質などをよく考えてみた方が良さそうだ。