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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

何故相変わらず功利主義なのか?

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久しぶりに米国に行ってきた。円安で、我々の購買力が益々劣化していることに気づかされる。朝食すら、相応のホテルで食べると5千円かかる。しょっちゅう海外に行っておられる方は、既に気づいておられるのではと思うが、今回初めて気づいたのが航空機の座席。格安チケットで行くと、そのそもあてがわれるのは真ん中の席で、窓側とか通路側だと追加料金が取られる。

これは、一見最低限のコストを下げるためにやっていることで、合理的なように思えるが、要はLCC的な発想だ。つまり、出来るだけ最低限のサービスにして、あとはきちんとお金を頂戴しようということだ。それで全体が安くなっているかというと、おそらく切り離された個別のサービスの価格は却って高くなっているのではないか?

ホテルで、とうとうcomplimentaryの水のボトルすらなくなった。そもそも北米は、何か混入の危険があるといけないという理由もあってか、歯磨き、歯ブラシがホテルの部屋にアメニティとして置かれなくなって久しいが、とうとう水までなくなったのだ

このような経営の根底にあるのは、やはり出来るだけ安い方が良いという発想だろう。このことは、昨今話題になっているインドネシアの新幹線でも表れている。もちろん加えて中国の資金的な協力も重要な要因だったのだろうと思うが。そして、北米ですら中国の新幹線が通る予定だ。

確かに、安い方が良いのは当たり前だ。だが、ただひたすら安いものを求めるという態度には、ただひたすら短期的利益を求めるという経営のスタンスと同じ危うさを感じるのは私だけだろうか?つまり、実は表向き安くなっているように見せて、実はホテルで水を買い、歯ブラシセットを買ったら、昔より高くなっているというまやかしのようなものを感じるのだ。

本当に、消費者や一般市民が求めているものは何なのか?それを提供することと、市場原理や政府の規制などが目指しているものは同じなのか?自由主義経済や競争原理を否定するつもりは全くないが、だからと言ってそこに働くルールや規範は、ただ利益追求・低価格などという定式化された安易なものであって良いのか?

親しい知人に公益資本主義、つまり社会的存在としての企業には、その生み出す付加価値を関係者である株主、労働者、地域社会、顧客などに平等に配分すべき義務があり、更には社会に対して永続的に貢献するような長期的な視野を持つ必要がある、という主張をずっとしてきている人がいる。

だが、現実に起きていることは、短期的収益を大きく見せたい東芝であったり、環境規制にテストのときのだけ合致しているように見せたいフォルクスワーゲンだったりする。政府の規制も、米国の株主資本主義の焼き直しのものが、引き続き導入されつつある。もちろん株主への配分も必要。だが、企業が社会的存在であるとすれば、自由な株式市場であったとしても、そこで短期的保持で収益を稼ぐとか、借りた資金で株式投資をするとか、株価が乱高下するとかいうことは必然ではないはずだ。

それよりは、例えば航空機やホテルであれば、多少の価格がかかっても、安心して乗れる、必要なものは揃っている、そして快適な心からのサービスが受けられるということではないのか?皆が、ただただ功利的に、どうすれば儲かるか、どうすれば安く見えるか、などと考えるようになってきてしまった今だからこそ、逆に本当に良いサービス、良い製品を、当たり前のようにきちんと提供できることの価値は高いし、それが多少価格が高くても通用するはずではと思う。

もっと心豊かに経営を続ける経営者が増えること、そして行政や政治も、これを支えるようになることを期待したい。

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