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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

命の重さに対する責任

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このところ時々思うのだが、最近の地下鉄の駅はやたらと階段などで受ける風が強くはないだろうか?もちろん狭い空間を地下鉄が走るのだから、その風圧が高いのは分かるし、その影響で強い風が吹くことは理解できるのだが、どうも昔まだ若いころには感じたことのない風の強さを考えると、最近は駅の設計などでコストを削減するために、乗客の移動する空間に対してあまり神経が配られていないのではないかと感じる。

福島原発の汚染水がこれ以上貯蔵できないから、浄化して海に放水することに対して、漁業組合連合会が国と東電に容認を伝えたとの報道があった。漁業組合としては、もちろん仕事への影響が課題だったのだろうと思うが、そもそも本当に想定されている浄化は大丈夫なのか?世界の資源である海洋に対して、自国で貯蔵できないから放水するということ自体、人命や自然環境、そして他者を軽視していないか?

技術は大丈夫と言うが、大丈夫なはずの原発は未だにその事故の原因や内部の状況すら特定できていない、つまり我が国の誰もが一流と喧伝する技術ですらその程度であって、自然という人類を生んだ母を相手にすれば、何の力もないという畏敬の念を持つべきではないのか?

集団的自衛権の要件として、例えば支援する米軍艦船に日本人の同乗は不要との防衛大臣の発言が物議をかもしているが、そもそも集団的自衛権という議論をする以上これは当然のことであり、それを今更になって大騒ぎするマスコミの無能さには驚くばかりだ。それよりは、ここに来てこのような説明を行うことで、実際の運用に関する考え方を共有し、法案通過後即座に実行するであろうと思われることの方が恐ろしい。一度この方向に舵を切ったら、もう二度と戻れない、そしてテロリストが我が国をターゲットにし始めるということを想像してほしい。

私は、自民党の党員でも、公明との山口氏でも誰でも良いから、今一度正気に戻って衆議院での再決議の際に反対票を投じ、この危険な法案の通過を阻止してほしいと思う。それが主権を保有する国民に対する、憲法に基づいた代表者としての国会議員の当然の責務であり、我が国を国際社会の軍事的対立構造に、憲法改正という正当な手続きを経ずして突入させようという独裁的且つ前近代的軍備至上主義の一部の政治家を止めることこそが、今求められることだと考える。

ロシアの副首相が、日本は切腹しろと言い、国連の事務総長が中国の式典に出席する、このような事態を見て、おそらく我が国の政権はだから集団的自衛権なのだと言うのだろう。だが、よく考えてみれば、これは今の世界秩序が第二次大戦の結果を踏まえて出来ているという当たり前のことを示しているに過ぎない。何が起ころうと、今の世界の構造の中では日本は敗戦国であり、敵国条項対象国なのだ。安倍総理はそれが気に入らないのだろうが、それは変えようのない現実なのだ。

それが今また戦前同様、国は変えても新たな同盟国とともに軍事行動の一歩を踏み出すということがどう見られるか、という視点が欠けているのは、不思議だ。もちろんそろそろ敵国条項対象国を外してほしい、我が国は普通の国なのだ、という気持ちがあるのであれば理解できなくもないが、やろうとしていることは戦前と大差なく、しかも憲法上の正規の手続きも踏んでおらず、加えて自国に引導を渡した国と同盟関係を築こうというものだ。

1年以上前だが、現首相に近い有力な政治家の方に、集団的自衛権の前に、まずは敵国条項を外させる努力をすべきではと申し上げたことがあるが、即座にそれは不可能だとの答えが返ってきた。私が分からないのは、では第二次大戦の結果を前提にできている現在の世界秩序の中で、集団的自衛権を制度化し米国と同盟国になるということは、一体どういう意味合いを持つのか、である。

要は、戦勝国の一つである米国に依存し、その庇護の下で生きていこう、という意思表示なのだろうか?宗教的な対立が高まる現代国際社会において、その一極であるキリスト教米国に追随することが本当に世界や人類のために望ましいのか、それとも対極であるイスラム社会や、我が国の近隣である東アジアなどとの連携も図りながら、我が国の経験や特性を生かして国際社会に貢献することによって、新たな国際秩序において名誉ある地位を獲得することが望ましいのか、それこそ国民的な議論を行うべきではないか?

先に述べた地下鉄の構造においても、原発についていまだに原因究明ができないまま汚染水を放流し、原発再稼働をしようとするスタンスにおいても、そして国際社会の一極に与し結果として我が国に対するテロリズムの行使につながるような法案の議論においても、我が国は政治家、政府のみならず産業も含めて、より命の重さに対する責任を認識し、それに基づいた行動を進めるべきであるし、我々国民一人一人がまたそのような認識を深めるべきだと考える。

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