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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

オリンピックは参加することに意義がある!

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当たり前のことをタイトルに書いたが、どうも最近は当たり前のことが当たり前に行われない時代のようだ。バスの手配を忘れて偽手紙を書く旅行代理店の職員、STAP細胞は他の研究者の切り貼り疑惑が浮上しているようで、これはこれでそもそもわが国の研究者はどうなっているのかという問題だが、それで論外の論文が救われるわけではない。たまたまこの旅行代理店の職員とSTAP細胞の研究者が同年齢ということも勘案すると、「今時の若者は、、」とは言いたくないが、さすがに非常識と申し上げざるを得ない。

さて、そもそも私はわが国でオリンピックを開催することには、①今さら経済大国のわが国が再度経済を浮上させるためにオリンピックに依存するということ自体周辺の途上国の機会を奪うものであり、②更に福島の現状を考えれば、そもそも安全とは言えない、という理由から反対だが、それはそれとして実際の運営に関して国立競技場のことが話題になっている。

「動くシンクタンク」である構想日本の宣伝になってしまうが、代表の加藤氏が国立競技場関連予算について問題点を指摘している。記事は次の通りだ。http://bylines.news.yahoo.co.jp/katohideki/20140502-00035003/

詳細は、その内容に委ねるとして、そもそもスポーツ振興センターなるものが、予算を計上しその政策目標をメダルの数にしながら、予算の用途の大部分が自分のところの本部移転費用というのが理解できない。

これは、私自身が長野県の外郭団体見直しの委員をやったころから、以降地方の事業仕分けに関わる中でも、いつも感じてきたことだ。行政というのは、様々な批判を浴びて、その成果目標を明確にし、これをモニタリングするという手法を導入してきている。しかし、これは体裁だけで、結局何が個々の政策の本当の目的で、それを達成するために何をしなければいけないか、またどうやって進捗を確認するか、という点で全く整合性がない形で進んでいるとしか言いようがない。

なお、このような予算の項目について、概略を整理したサイトがあり、上記の議論もこれを踏まえてのものだ。なかなか一見しただけでは分からないのが難しいところだが、関心のある方は是非見てみていただきたい。次が、本件に関するサイトだ。

http://judgit.net/251582/top

そもそもオリンピック開催のための予算であれば、それは自国のメダルの数とは関係ないだろうし、個人的にはそもそも国ごとのメダル獲得数とか国同士の競争がオリンピックの目的であったかというとそうではないと思っている。もう、国同士の争いはやめて、世界中の個々の人々がスポーツという分野で集うという、クーベルタン男爵の精神に戻るべきではないか?

まあ、これは極端としても、ともかくもまずは本当にオリンピックについて、その実現のために主張していた青少年たちのために世界とのスポーツを通じた交流の可能性を広げたいという目的に忠実であるべきだ。国家予算が破綻に瀕しているときに、巨額の資金を掛けて立派な施設を作るのではなく、その何分の一かの資金で、自国分のオリンピックのチケットを買い上げ、それをわが国の青少年に無料で配布し、また来たくても来れないアジア諸国の青少年たちや、先般の船の沈没ではないが悲惨な経験をした青少年たちを招待するなどに使えば良いのではないか?

また、20も30もメダルを取る国であれば、それなりに予算もついてオリンピックにおいても、相応の練習施設などの確保も出来ると思うが、そうではなくて、本当に苦労して数名の代表団を送ってくる国もあると思うので、そのような国や選手たちをきちんと支える仕組みを作ったらどうか?一人でも多くの参加した人たちが、或いは見に来た人たちが、東京オリンピックの経験を感動に出来るように、我々は全力を挙げて取り組むべきであり、無駄な施設や知事の言う「世界最高のオリンピック」は要らない。土建工事に経済成長のけん引役を期待するのは時代遅れも甚だしい。

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