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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

もっと分かりやすい政治を!

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今年も最後のブログとなった。いつもオヤジの後ろ向きの話ばかりで恐縮だが、今年も最後に一言。

年末の情報としてちょっと目立ったのは、一つは楽天がマー君を米国に行かせることに同意したこと。同社のオーナーについては、私自身は全く良い印象を持っていないが、本件に関する限りある意味経営者としての合理的な判断を超えて、若者の可能性を優先させたところは、素直に評価して良いのではないかと思う。

もう一つ目立ったのは、総理の靖国訪問。既に色々と議論があるが、明らかに中韓の反発が見込まれるところで、何故強行したのかという点では、間違いなく日本の政府がKYであると言わざるを得ない

もちろん、彼も主張する通り、これまで国のために命を落とした方々を慰霊すること自体は、重要なことだ。そして、確かに戦犯も合祀されているとは言え、戦犯であるという点を除いては、彼らもまた国のために働いたわけで、その意味で彼らだけの責任ではないという考え方も成り立つ。

このような考え方に立てば、単に参拝したという細かい事実を捉えて何故外交問題にするのかという議論も出てこよう。だが、中韓は、これまでも明確に戦犯が合祀されていることを問題視し、再三に亘って指摘してきているのであり、従ってこの点について事前に理解を求めない限り新たな問題が発生することは十分に予測できたはずである

ましてや、最近は中国も対応を軟化させており、韓国については引き続き厳しい対応であったとは言え、現実には国内ではかなり大統領の対応に対する疑義が呈されるようになってきていた。せっかくのそのような環境の変化を、自らの行動で「ま逆」の方向に持って行ってしまったのは事実だ。

そのような事態に対するいら立ちが米国やEUの対応にも現れていると思う。ただ、ここで私が疑問を呈したいのは、全く別のことだ。そもそも何故国会議員や総理になると、靖国に参拝するのか?彼らは、常に靖国参拝をしてきていたのか?そもそも靖国とは何なのか?

靖国が西南の役以降国のために命を落とした兵士たちを祀るために作られたということは認識している。だが、一部の例外を除いて、それらの方々には個々に墓は存在する。そして、それがない方々については、第二次大戦に関する限り米国のケリー氏が参拝したような別の施設が存在する。

もちろん、戦争の犠牲になった方々に対して敬意を表することは当然だが、何故それが靖国でなくてはならないのか?何故、政治家になると突然に靖国を参拝するのか?それがどうも理解できない。敗戦を踏まえて平和主義国家として生まれ変わったわが国にとって、戦争の記憶はもちろん大事だが、それ以上にこれからの国のあり方が重要だ。それにも関わらず、周辺国の強い反対を押し切って過去にしがみつく必然性がどうしてあるのか?

国民主権から国家至上主義に先祖還りするかのような憲法改正試案、国民の知る権利に対する配意が不明確な秘密保護法案なども踏まえて考えると、どうも方向的に過去に逆戻りしているような気もする。そして、政府に対しても、諸外国に対しても私が強く指摘したいのは、戦争で本当に悲惨な目を見たのは、靖国に祀られている方々だけでも、周辺国の方々だけでもなく、わが国に今暮らす国民のほとんどすべての祖先たちも、更には欧米の戦勝国を含めた世界中の普通の人々も、全員だったということだ。

そのことを胸に、お互いに配慮した行動を取り、覇権主義や自国の成長だけを目標とすることなく、世界中に平和で暮らしやすい社会を作り出すべく、協力し合うように望むだけだ。中国も韓国もわが国も、元々同じ文化圏から現在に至っているとすれば、そもそも協力し合うのが当然ではないか?そのためには、仮に意見が食い違うとすれば、これを無視して行動を起こす前に、まずは理解し合う努力が必要ではないか?

 

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