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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

想像力とWhat if?

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どうもこのところ週末がドタバタで、またまた簡単に一言!

ちょうど今週はある大学の理科系の博士課程の学生に、「リーダーシップ論」なるものを講義した。ちょっと準備が悪かったのか、予定の時間を相当超過するような流れになり、あまり学生との対話のない一方的な講義になってしまったが、この講義で、リーダーシップを発揮する場合に「想像力」が必要と述べた。

この伝で考えてみると、ちょうど福島の1号機のメルトダウンが報じられたところなので、改めてこの重要性を強く感じる次第だ。私は、原発の問題については、そうは言っても基本的には大問題になることはないだろうと推察していて、冷静に対応してきたつもりだ。

しかし、ここに来て政府や関係者の対応を見ていると、徐々に不安が増してくる。もちろんそれぞれの立場で一生懸命やっておられるのだろうと思うし、とくに現場の方々はある意味命を削って対処しておられるわけで、敬意を表する。

しかし、全体の方向性を決めていくという危機管理の面からみると、あまりにお粗末と言わざるを得ない。そもそも情報が流れない仕組みなので、実はきちんといろいろな対策が取られているのかもしれないが、少なくとも表に出ている情報による限り、対応はすべて対症療法であり、個々に発生した事象に対する思いつきの範囲を出ていない。

もちろん何が起こっているかが分からないのだから、ある意味仕方ないのだが、だとすれば、正常化に相当期間かかる覚悟を決めた以上、事実の解明にまずは最大限の力を注ぐべきではないか?もちろん原子力発電技術が未熟なのだから、海外の技術を借りるのも一つの手だが、当該原発の構造は分かっているわけだし、水蒸気爆発による構造の変化なども、外観から、或いは一部侵入したときの経緯から分かるのだから、その範囲で建物に入ってそのすべての部位がどうなっているかを診断するロボットを、日本の全産業の技術の粋を結集して作るという指令を出しても良いのではないか?それに1兆円かかろうが、国民の命を考えれば、まずは最優先で行うべきことだろうと思うのだが。

どうして、このような当たり前の想像力が働かないのか?確かに、再臨界になる可能性は薄いが、でも何がどうなっているのか分からないことからすれば、危険がゼロでないのも事実と言わざるを得ない。そして、それがある時突然に起こることだってあり得るのだから、最悪の事態に備えて、少なくとも東側の国民一人一人に防護服が渡るように発注するというのはどうだろう。何も起こらなければそれに越したことはないが、作業員すら防護服がない状況で、何か起これば取り返しがつかないわけで、やはり国民の命を守るという国家の最低限の責務として、無駄になっても作っておくべきではないか?

どうもそのようなWhat if?、つまりもしこんなことが起こったら、という想像力が欠けていると言わざるを得ない。国民を守るということは、あらゆる事態に備えて準備しておくということで、想像力はその最低限の基本だ。そして、その範囲を少しでも狭めるためには、事実をまずは明らかにするしかないのだ。いつまでもどうなっているか分からない、しかも何か起こったときに守る手立てもない、こんなに国民を不安に駆りたてる国家はないのではないか?

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