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これぞグラフィック・アート。アルフォンス・ミュシャの世界。

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「アルフォンス・ミュシャ」

アールヌーボーの旗手として、サラ・ベルナールのポスター作家として非常に有名だが、今年生誕150年ということもあり、改めて注目を集めているようだ。

たまたま帰省からの帰りに立ち寄った、北九州市立美術館で開催していたアルフォンス・ミュシャ展を観たが、それは彼の人生そのものといっていい、芸術、祖国への愛だった。

展覧会では、時代ごとにアルフォンス・ミュシャの作品が並べられ、彼の作品、仕事の変化を観ていくことができる。

彼の20歳代のころの装丁を中心にしたグラフィック・アートの時代から晩年の「スラブ叙事詩」まで眺めてみると、デザイン、芸術、そして彼の民族・国を愛する魂の声が聞こえてくる。

若いころは、あれほどの才能の持ち主でありながら、ミュンヘンの美術学校に通うまでは、地元の美術学校に落ちているという。ポスターで注目を集めるまでは、相当苦労していたようだ。

サラ・ベルナールがポスターの制作を依頼しようと印刷所(今の日本でいうと電通か博報堂か)に出向いたとき、たまたまそこにいたミュシャがデザインを担当することになった話もすごいが、それに応えて、その1作でクリエーターとしての地位を不動にした市場の感性もすごい。

アールヌーボーといえば、今でこそ近代文化の歴史的遺産だが、華麗な曲線を使った女性を表現した技術は、当時では前衛そのものであったことは想像にかたくない。

それでも自分の信念とも思える作風が揺るぐことなく、「スラブ」への想いを抱きながら、当時の商業にどっぷりとつかり次々と作品を発表していった。

そして現在のチェコに生まれた運命は、愛国心を燃やし、祖国のための芸術活動に心血を注ぐことになる。

商業ベースに乗っかった仕事だろうが、魂の表現だろうが、あらゆる仕事に対し自己表現のすべてを注ぎ込んだと思えるところに、彼の偉大さがあるのだろう。

今私たちの周りにはおびただしい数の書籍や広告ポスターがあふれているが、この中で後世に受け継がれていくものはどれだけあるのだろうか。

自らの祖国への愛がベースとなっている作品がどれだけあるだろうか。

また、現在ではアート(前衛芸術)とクリエイティブ(日常生活)が一体となることはまれだが、ミュシャが生きたアールヌーボーの世界は、生活の場にアートが密接に関連しており、当時の市民の文化度の高さをうかがわせる。

どうやら、私自身の仕事への取り組む精神そのものを思い切り鍛えなおす必要がありそうだ。

日本では、「カメラのドイ」の創業者である土居君雄が集めたコレクションが、堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館で「ドイ・コレクション」として展示されている。

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