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今のエジプト情勢をわかりやすく解説します

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・今のエジプト情勢をわかりやすく解説します

 第二次オイルショックは、イランで起きたイスラム革命が引き金でした。親米のパーレビー政権の専制政治に反発したイスラム勢力が、国外追放中の法学者ホメイニ師を擁立して革命を起こしました(1979 年2月)。

 イスラム革命の自国への影響を恐れたソ連は、イランの隣国アフガニスタンに侵攻し、イスラム勢力を弾圧しました。一方、アメリカはイスラム油田の国営化を恐れて、やはりイランの隣国イラクのサダム・フセイン政権に巨額の資金援助を行いました。このときにブッシュ一族と深い関係にあったオサマ・ビン・ラディンが、イラク側としての実行部隊として、イラン・イラク戦争で活躍することになります。イラクには、ソ連や欧州諸国も、巨額の資金援助をしています。イスラム原理主義勢力を封じ込めるという点では、米・ソ・欧、それに、独裁制の中東産油国の利害が一致したということになります。

 イラン革命と時を同じくして、アメリカはエジプトとイスラエルの和平協定を結ばせました。キャンプデービッドの合意です。1948年のイスラエル建国以来、エジプトはアラブの代表として、ユダヤの国イスラエルとは4度にわたり戦争を行いました。これが、中東戦争です。この時までは完全に反米姿勢でした。度重なる戦争で経済が疲弊したエジプトは、大きくその方向を180度変えました。アメリカに急接近したのです。1979年は、イランがそれまでの親米から反米へ、そしてエジプトが中東の優等生と言われる、アメリカに忠実な路線へと向かっていったのです。

 アメリカは毎年15億ドルの経済援助を行い、エジプト経済は立ち直っていったのです。アラブの裏切り者のレッテルを張られたエジプトは、イスラエルとの和平の当事者であるサダト大統領の暗殺という悲劇を経て、現在のムバラク大統領へと主導者が変わっていきます。ムバラク政権は、徹底した政治参加の自由を奪うやり方で、アメリカの支援をもとに独裁政権を樹立して、経済を発展させました。

 経済の発展は国民の間に格差を生み、政治活動の不自由さに国民の不満は大きく蓄積されてきました。とにかく長期政権でやりたい放題ですから、どこかで国民の怒りが爆発してもおかしくない状況だったのでしょう。それが、チュニジアの政権転覆をきっかけに、エジプト国民の決起を促したのでしょう。長期政権は、ムバラク大統領誕生時の日本の総理大臣が自民党の鈴木善幸氏でしたから、ムバラク大統領一代で、日本の総理は何人変わっているのでしょうか。

 今回のエジプトの反政府運動では、インターネットの普及が大きな役割を担いました。facebookです。これが中東のチュニジアの国民に火が付き、国家転覆にまで広がりました。いまや、インターネットの威力や普及力は凄いものがあります。もはや、情報をシャットアウトすることは難しいと言えるでしょう。そして、現在それができるのは中国ぐらいでしょう。

 第二次オイルショックに酷似している現状は、中東諸国の民主化やイスラム原理主義勢力の拡大から、政情不安となり、原油供給不安につながり、昨今の原油価格の高騰になっているのです。
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