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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

夢をえがく 海洋考古学と海底の宝を見直そう

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夢をえがく 海洋考古学と海底の宝を見直そう

 このシリーズでは、私が温めてきた私の夢を公開することにした。
 大震災に直接被害を受けた人はもちろん、私達のように、原発でひどく国際的自信を傷つけられた者も、一番今、要るのが夢の共有と実現である。

 日本の周りの海には、太古の時代、奈良、平安時代から、何万隻もの船が沈んでいる。遣隋使船、遣唐使船、いつの時代にも海賊がいた。いつの時代にも、船の遭難があった。樽廻船、北廻船、これらはほとんど手がつけられていない。

私がこの話をお聞きしたのは、茂在寅雄博士である。偉大な先生だ。もう25年前だ。クィーンエリザベス2世号で旅行していたときに、先生の話をお聞きして、たちまち私は水中考古学の虜になった。東海大学名誉教授の茂在先生は水中考古学の専門だ。長くご無沙汰しているが、先生は今、97歳。茂在先生は、九州の博多の沖で、元寇の沈船を音響探知で発見されている。また、南米のチチカカ湖の湖底の遺跡も発見されている世界に有名な海の考古学の専門家だ。

 この先生とお話しをしていて、私の夢が増えた。日本の周りの海には、沈船がたくさんある。
「樋口君、君の目は、海底の宝物で、ぎらぎらしているが、本当に重要なのは当時の船の運んでいた荷物だ。当時の文化が乗っている」

昔の船は、ほとんどが木造だったから、朽ちてしまっているが、これらの交易の日本からの輸出は金、銀、水銀、刀剣、朱など。江戸時代になってからは、陶器も加わった。遣隋使、遣唐使の船にも、かなりの金や銀が乗っていたのではないだろうか。

 銚子の沖、熊野灘、玄海の海、瀬戸内海など、丹念に調べれば、多数の船を見つけることはできるだろう。日清戦争、日本海の日ロ戦争などの船もある。第二次世界大戦の時でも、数千隻の軍艦や商船が沈んでいる。例えば、台湾や朝鮮やフィリピン、シンガポール、香港から戦争末期に日本に戻ろうとした船で、米国の潜水艦の攻撃を受けて沈んだ船には、相当の財宝が乗っていたのではないだろうか。ダイヤも乗っているだろう。

 これらの沈船の位置は、だいたい米国の潜水艦によって記録されている。これらの船は、今の音響探査の技術でもってすれば、発見は難しくない。
私も今、持っている太平洋戦争の沈没艦船の調査書を持っているが、これらの船を含めて、水中考古学として非常に貴重な古い沈船を探そう。それに必要なのは、400メートル程度の、海底を無人ロボット潜水艇と作業する母船だ。数十億円程度の費用だろうか。

 それで、引き上げた財宝は、多分、その費用をカバーできないが、夢がある。
アメリカには多数の沈船発見の専門会社があるが、日本ではなぜ活動できないのだろうか。日本海は、数千隻の沈船が、引き上げて欲しいと待っている。

 例えば、佐渡から新潟まで、佐渡金山の御用金が定期的に送られたはずだ。それらの船が数百年間に一度も、沈むことなく無事に新潟に到着したとは、とても思えない。当時の金は、船で運ばれるときは、すべて樽に入れられて、それらの樽は全部丈夫な紐で連結され、万が一、船が沈んでも、金だけは樽で浮くようになっていたという。

 当時世界一の産出といわれた佐渡金山の御用金の船が、一度も難破したことがないとは、とても思えないが、公の記録には、難破していないとなっているのではないだろうか。

 それは佐渡の奉行が、難破すると全責任を取らされて、切腹になりかねない。難破した時のために、一回分、二回分程度の船で送る金の予備の蓄積を新潟側に溜めていて、万が一の難破、沈船の時は、この蓄えを江戸に送ったのではないだろうかと思っている。

 そうなると、佐渡と新潟の間の海峡には、佐渡から送られた金が沈んでいる可能性があるのではないか。これが私の推測だ。どうだ、一緒に、探索しないか? 

政府もこのような、夢を探せばよいのに。
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