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デジタルコンテンツ流通の潮流を見据えて

ゼロサムでは無いということ。紙と電子、出版の行方は。新しい価値の創造が求められている。

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毎年秋も深まると街路の銀杏は葉を黄色くし、その葉は地上に落ちて朽ちていく。何年もの間、出版業界はマイナス成長を続けている。先進各国が成長の鈍化またはマイナス成長に耐えているのと似ている。これをあたかも補うかのように電子媒体による出版が立ち上がりつつある。これが問題だ。どう考えても電子出版は紙媒体の出版の落ち込みを補うことはできない。このことは出版界の人たちは分かっている筈だ。しかし、こういった自らの状況を正確に冷静に判断するのは非常に難しいようだ。だれでも自らがやってきたことが衰退していくのみで救いが無いということは信じたくない、信じたくないと思う気持ちがありもしない救世主を見つけてしまう。たまたま紙媒体のビジネスが先細って行く時に同期をとったように電子媒体のビジネスが立ち上がって来たので、人は「ああ、紙が減って電子に置き換わるのだ」と勘違いしてしまうのだろう。

実際、これはとんだ勘違いで、紙が減るにしたがって電子が増えるのでは無く、実は両者は大した相関関係を持たずに動いているようだ。大きな流れとしては紙が減るのに呼応して電子が伸びるように見えるが、電子が紙を補完するという望みは起こりえない奇跡を信じることに等しい。経済学で言うところのゼロサム社会、

経済成長が停止して資源や富の総量が一定となり、ある者が利益を得るとだれかがその分だけ不利益をこうむる社会。米国の経済学者サローの用語。
では無く、非ゼロサムまたはマイナスサムと呼ばれるゲームが進行している。参加者全員が敗者となるゲームだ。競馬などのギャンブルでは、敗者から集めた金を勝者で分けるため、原則としてゼロサムになる。非ゼロサムの代表は株だ。上がる時は全員が上がり、下がる時には全員が下がる。株価が上がれば時価総額が増え、その増えた分だけ価値が生まれている。上がる時には時価総額が増えた分だけみんなが得をし、下がる時には時価総額が減った分だけみんなが損をする。

この悲劇的な状況から脱するには、土俵を変えるしかない。新しい価値の創出をしなければならない。出版という会社の株価を上げなければならない。出版界にはそれが求められているのだと思う。紙を電子に変えただけでは先細りを防ぐことはできない。コンテンツビジネスに対する考え方を180度とは言わなくても90度変える必要がある。音楽や映像などの同じコンテンツビジネスの進化は出版界にとって大いに参考になる。CDもDVDも売れなくなってダウンロード型のコンテンツ配信に置き換わって来た。だが、そのダウンロード型のビジネスはCDやDVDといったパッケージ型のビジネスの落ち込みを補うことはなかった。補っているのはコンサートやイベント、その他のグッズの販売、または広告などによる他のビジネスとの連携などだろう。果たしてその総和がプラスになっているのかは分からないが、音楽業界がそちらの方向を見ているのは間違いなさそうだ。(つづく)

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