岸田秀著「性的唯幻論序説」を読んで考えたこと
若者よ、書を捨てよ、子供を作れ。
とにかく面白い。岸田は唯幻論という独自の思想を武器にユニークな論述を展開している心理学者であり精神分析学者だ。「本能の壊れた動物」という表現で人間を分析する視点は学者の枠を超えた創造性に富んでいる。動物としての本来の本能が壊れた人間は多様な性文化を生んできて、その性文化があらゆる文化に影響を与え、経済の仕組みとしての資本主義をも生むことになる。
岸田の「唯幻論」は最初の著書『ものぐさ精神分析』に始まる。その後の著書のタイトルを見ているだけで、何か見えて来るようだ。「精神分裂病としての日本近代」など世の中の常識を幻想と言いきる。「ものぐさ精神分析」の発表からは多くの知識人の賛同を得て信奉者は多い。
男は幻想を抱くことでしか性交できない、すべての人間は不能である、売春は中毒になる危険性があるからタブーである・・・など、思わず引き込まれてしまう。人間は本能が壊れているから、動物のように本能で性交することはできない、よって種族保存のために代表される幻想により性交するようになった、人間にとって性交は本能では無くなった。
「幻想」というと私の世代では吉本隆明の「共同幻想論」が思い出される。おぼろげな記憶では国家とは人間が共同で保持する幻想であるといった感じではなかったかと思う。あたかも詩や文学を創造すると同様に国家を空想し創造した。個人としての幻想は民族主義、愛国心、ナショナリズムと言う形で、共同幻想と密接に絡み合っている。吉本は共同幻想を解体し個人の共同幻想からの独立が本質的な課題であると言った。
長い自民党の政治から民主党なる集団が政権をとり、これまでと違った視点で政策が論議されているのは大変結構なことだが、両党ともに欠けているのが日本が抱えている根本の問題に対する認識だ。これは既成政党だけでなく、マスコミやその他の論壇でも同様に議論されることが無いように思う。それは少子化と高齢化だ。これが日本の現状を恐ろしく不安定で夢のない社会にしている最も大きな原因だと思う。
年金問題も、医療費の高騰も、国内市場の停滞も、介護問題も、すべて適切な人口ピラミッドが確保できることで解決する。マスコミや政治家の話を聞いていると、少子化や高齢化を当たり前のこととして受け入れてしまっていて、それに対する対処政策しか議論しない。簡単な話、若者がどんどん性交をし子供を作ればいいのだ。
吉本の文学的な幻想論を別にすれば、国家とは共同幻想を国民に示し継続的な繁栄を担保するのが使命ではないだろうか?現在の日本では国民は共同幻想すら持つことができずに、幻想をベースにした性交と子作りを忘れてしまおうとしている。本能を忘れ、幻想も持たない我々は一体どこへ行くのか?