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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

シアトルのスペースニードルは大阪の太陽の塔だった

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「1970年のこんにちは...」と聴いてすぐに大阪の万博を思い出す人は、多分天命を知る齢に達しているだろう。憶えていますか?このテーマソング。私は小学校3年生だった。地元に住んでいる強みで、多分最低5回は行った。太陽の塔の顔は、何度見てもこっけいだった。

一方、シアトルのシンボルであるスペースニードルは、1962年の国際博覧会のために建設されたのだった。

今年はシアトルでワールドフェアーが開催されて50周年にあたり、こちらのテレビやラジオ、そしてオンラインでも、50周年を記念して、いろいろな特集が組まれている。この特集を見ていると、50年前のシアトルと1970年当時の大阪がダブってくる。スペースニードルがますます身近に感じられてしまう。

普段は白いスペースニードルの天井部分を、万博当時を振り返り、一時的にオレンジ色に塗りなおしているそうな...

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