上海-香港-台湾-横浜-NYC...そしてシアトルにたどり着いた人
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ヨガのクラスで知り合ったKさん。クリスマス・イブの夜は、Kさんご夫妻他数人を自宅に招いてささやかなディナーパーティーを開いた。
40年以上の教師生活に、数年前終止符を打ったKさん。今はヨガのほかにワイン作りを趣味とする、とても素敵な紳士だ。この日もKさんが自ら収穫したぶどうでつくり、またボトリングもてがけた、2007年ものの赤ワインを持ってきてくれた。
ワイングラスを傾けながらにこやかに話してくれたKさんの半生は、その笑顔とはちょっと想像つきがたいものだった。
Kさんのお父様は上海でも指折りの資産家で、生まれた家はそれこそフランス風の大邸宅で、お手伝いさんも何人もいたそうだ。しかし、終戦後上海に共産党軍がやってくる直前、一家はほぼ何もかもおいて香港に移り住む。その後、台湾、横浜にと家族は住まいを転々とし、Kさんは奨学金を得てニューヨークの大学に行ったのだという。
実業家だったお父様は、一財産を築いてはなくしまた築いては...という、ローラーコースターのような人生を送られたらしい。息子のKさんは、その浮き沈みの激しさを味わったがゆえに、自分は教師という職業を選択した。
いかに生徒にやる気を起こさせるかに腐心したKさん、マイコンを教室にいち早く持ち込んだ人でもある。今はマイクロソフトやアマゾンで活躍している人の中にも、高校時代にKさんに大変お世話になった人がたくさんいる。
Kさんを通じて、歴史を垣間見た、そんなクリスマス・イブ、でした。
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