父の思い出
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「わしゃ、外人を見るとのう、肥溜めを思い出すんじゃ。
小学校1年の頃かのう。戦争が終わると、徳島の田舎にも進駐軍がやって来た。野良仕事の手伝いで、そこの肥えをもらいに行くねんけど、一体何を食っとるのか、肥えも肥えててのう。行くたびにチョコレートをくれるんじゃが、これがまたうもうてのう。
遊びに行くときはいつも、一番下の妹を背中にせたろうて行かされた。家には、わしを入れて男5人の下に女3人、8人も子供がおってのう。りんごはいつも一個を八等分して食っとった。
自分の子供には、りんごはまるまる一個食わしてやりたい、というのが、わしの小さい頃の夢やった。
所帯を持って二人目の子供ができる頃は、複雑な気持ちでのう。りんごをまるまる一個食わしてやりたいから、子供は一人でええと思ったりした。それが、一人に一個ずつこうてやれるようになったのは、うれしかった。
りんごまるまる一個を食って育ったわしの娘が、今年アメリカの大学院を卒業するんやって。卒業式に出てくれゆうて、大阪 - サンフランシスコの往復の切符を送ってきた。アメリカに行くのはこれが初めてやが、外人を見ると、やっぱり肥溜めを思い出すんじゃ。」
貧困を体験した世代の父が、私が貧困を味わう事のないようにしてくれた。父亡き今、父への恩返しの代わりに、今貧しさと戦っている人たちのために、私に何ができるだろうか。まずは、それを考える機会を与えてくれたこのブログアクションデーに感謝。
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