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ソーシャルメディアの先にくる変化を、過去と現在を行きつ戻りつ紐解いていきます。

Speak Like A Child(前編)

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1982年の秋のことだった。

ポール・ウェラー率いる当時人気絶頂のロックバンド「ザ・ジャム」が突然の解散宣言。
僕は当時愛読していたミュージックライフ(ちょうどロッキンオンに切り替える直前)の巻末近くの小さなコラム記事でそのことを知った。解散理由は、その記事によると「いつかNO.1バンドで無くなるのが怖いので、NO.1のうちに解散する」というものだった。

※この言動の審議については定かでなく、ネットでいま調べてみても当時の発言は見つからない。尚、ウイキペディアでは、違うトーンの注記があった。注1)

当時はこの編集記事しか情報リソースが無く、解散理由には釈然としないまでも「そんなものなのか」と思い、事実を受け止めた。

時は流れて1983年のはじめ、ポール・ウェラーがミックタルボットと新しいバンド「ザ・スタイルカウンシル」を結成するニュースが流れてきた。デビューLP(輸入版)が発売された噂を聞き、レコード屋(LPコーナー)に買いに行こうとしていたところ、どういう経緯でそうなったか記憶がおぼろげなのだが、高校の同級生の大倉が安い値段(2,000円)で売ってくれるという話になった。

どのみち買う予定だったし、当時のLPレコード1枚の価格は輸入版も2、500円くらいだったので、「あんまり良くなかったのかな」と思いつつも二つ返事で承諾。
翌朝早々に売ってもらい、放課後に家へ帰ってLPの入っている袋を聞いてみると1枚の紙切れが入っていた。。。。(続く)

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注1)ウェラーはバンド解散の理由について「30歳になってもジャムでパンクのまねごとを続けているなんて考えただけでもオッサン臭くて恥ずかしいだろ」とも語っている。また解散報道の直後にファンの運動により2年も前のシングル「ゴーイング・アンダーグラウンド」が全英チャート1位に返り咲き、ラストシングル「ビート・サレンダー」も当然のように同1位を獲得していることがこの頃のジャムの人気の絶頂ぶりを伺わせる。

ポール・ウェラー. (2010, 5月 23). Wikipedia, . Retrieved 14:25, 6月 3, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC&oldid=32231018.

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