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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

一度「素人」になってみること

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土曜日7:30からTBSで「サワコの朝」というトーク番組があります。毎回一人ゲストを招いて進行するもの。なかなかよいのです。

先日は東山紀之さん。すごくストイックな感じのする俳優さんだけれど、中でこんなことを言っていたのが印象的でした。

最近陶芸を始めた。それ以外にもいろいろと新しいことを始めた、という話の流れで。

「新しいものをチャレンジするとそこから一回素人になるんですね。どんなものでもそうなんですけど。それで一番下からスタートになるので、それをやっていると精神がクリアになるんです。」

「知らないことを知る楽しさがあるんで、・・次から次へといいことが見えてくるんで、・・知らないことを知る努力をしようかな、と思って」

一度素人になる経験って、年を経るに従いできなくなってきます。意識しないと。我が2歳の甥っ子など、人生で出会う何もかもに対して「素人」なので、”知らないことを知る楽しさ”に満ち溢れ、”素人”から、”一番下”からスタートして、あれこれマスターしていきます。ストローで飲み物を飲むことにしても、ボタンをはめたり外したりすることも、ジグソーパズルを完成することも。とにかくどんなことでも。

大人になればなるほど、歳を重ねれば重ねるほど、世の中はほとんど「知っていること」になってしまう。(本当はそう勘違いしているだけなのだけれど、自分が生きている範囲であれば、「知っていること」だらけに見えるし、「知っていること」だけでもなんとかなってしまう)

「一度素人になれる」何かを体験するというのは、自ら望まないと得られないのですね。

4-5年前に突然思い立って「カリグラフィー」教室に通ったことがあります。隔週土曜日で9か月だったかと思います。(※カリグラフィーとは、西洋の習字です。最後に我が作品の写真、添付します)

超初心者クラスで、アルファベット一文字ずつ何百回と書きながらマスターしていくような、地道な努力を要して、地味な作業が続くクラスでしたが、当たり前ですね。綺麗な作品を作ろうと思ったら、守破離の「守」をきちんと学ばなければなりません。

aにしてもbにしても、講師が描くそれとは似ても似つかぬものになってしまう。練習を重ねるとだいぶマシにはなりますが、それでも、へたくそ。

自分ではお手本通りにちゃんとやっているつもり。ふざけているわけでも手抜きしているわけでもない。なのに、字が曲がったり、斜めに書くべきところが縦になってしまったり。

学ぶ自分がまず自分にイライラする。

そんな時、講師が「ああ、いいですねぇ。ここなんて、きれいに角度出てますね」とか「このはねは上手、上手」などと、「たくさんあるダメなところ」の中から「稀に存在するいいところ」を見つけては声をかけてくれるのです。

そして、「え?これ、いいですか?」(テレテレ^^;)なんて思っていると、すかさず、「ここがこうなるともっといいですね。あと、ここも、こうして、あーして」と指導が入る。

でも、最初に「承認」してもらっているので、それに続く厳しい指摘も、赤ペン先生された部分も真摯に受け止め、また練習に邁進することができる。

この体験を経て、「素人になってみる」ってのは、とても大切だな、と思ったものでした。

マスターしている人にとってどーということのないことであってもど素人には「それができないんです」と泣きたくなるような要素がたくさんあることを知り(新人時代そうだったことを思い出して)、学ぶことがたくさんありました。

新入社員たちが何を苦労しているのか、どういう言い方をされるとやる気を持続できるのか、どんな風に指導されればいいのか、そんなことをたくさん考える機会になりました。

OJT担当者がこうおっしゃることがあります。

「何度教えても覚えない」「簡単なことなのにできない」「すぐ忘れちゃう」「すぐ元に戻ってしまう」など。

確かに、教わる当人に問題があるかも知れないけれど、教えている側が「教わる側」のレベルを考えられないことに起因している場合もあるかも、です。

そんな時、私は「なんでもいいから、一度習い事してみるといいですよ。それもやったことないこと。かなりショック受けますよ。”新人”の切なさとか忸怩たる思いを味わえますから」とおススメすることがあります。

※ エンボス加工したり、グラデーションにしてみたり、飾り付けたり、と、なかなか楽しい作業でした。(以下、2作品は私の手によるものでございます。)

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