中日新聞、再稼働無くても足りる論に隠された、最大の詭弁
廣江さんからコメントを高橋誠さんから検証記事 中日新聞の記事「関電、大飯再稼働なくても電力供給に余力」は詭弁なのかを書いていただいた、前回のエントリー、「中日新聞、大飯再稼働なくても余力 ?で学ぶ。詭弁を暴く3つのポイント」。
ただ、お二人の記事や他のはてぶ反論も、中日新聞が詭弁テクニックで誤解させているかという検証ではなく、実は十分足りているという話にとどまっているようです。私が問題にしているのは、そこではなく、誤解させようと中日新聞があの記事で詭弁を使ったかです。
そして、また、そもそも中日新聞はあの記事で、論点で無いものを論点にするとうい最大の詭弁テクニックを使っていました。
7/18という夏が始まったばかりの時点で電気が足りたかを中日新聞は結果論的に語っています。しかし、夏は始まったばかりなので事後検証はもちろんできず、可能なのは、現状から今後の夏を見越してシミュレーションするとかいうことだけです。
政府は夏場の電力不足を理由に強引に大飯原発の再稼働に踏み切ったが、節電効果など需要の見通しの甘さが浮き彫りになった。
と中日新聞はあたかも結果が見えたかのように書いていますが、これは拙速すぎる結論です。
中日なのでプロ野球に例えると、ピッチャーを補強したけどそんな補強なしに足りた。見積が甘い、とペナントレース序盤で語る、生え抜き選手好きのおじさんの居酒屋談義みたいなものです。
オリンピック、サッカー、オーバーエイジ枠で言うと、オーバーエイジの吉田麻也と徳永無しに日本は勝てるのになぜ呼んだと緒戦のハーフタイムに、したり顔で語る、スポーツバーのサッカーファンかもしれません。(サッカー界では不測の事態がしょっちゅう起きるのでリスクヘッジ不要論とかあまり聞いたことがありませんが…)
結局インフラは様々な制約のなかで、不測の事態とリスクを考えながら動かしているものです。どういう確率で、選手や施設の故障が起きうるのか、何かあった時にどう手を打てるのか?障害があった時に波及を最小に止めるには?とかと。
人々が安心して暮らせるために危険性を十分低くするにはどうすればいいか、さまざまな制約で経営するのがインフラ屋の使命です。
もちろん、人身事故や放射性物質漏れとかの大きな事故は避けるべきもので、先の東電福島第一の事故は津波リスクへの対策と電源の多様化ということへの備えが不十分でした。
しかし、「お金より命」、とか単純な理念で、人気商売の、音楽家、小説家、新聞社とかはそれで経営が成り立つかもしれません。しかし、日本の電力インフラを支える会社は、どうやれば様々なリスクを下げられるか、コストを下げ、輸入LNGをなるべく安く調達するには、輸入量を減らすにはとかとかの中で企業活動をして電気を供給しています。(新聞社だって、取材、印刷、配達での死傷事故はあるわけで、命がほんとうに大事だから弊社は、取材と配達での自動車の使用を停止します、くらいやるのが筋かなとは思います。)
ともあれ、世の中で暮らして生きていくのに、「お金も無いと命は支えられない」が概ね正しく、もっと言うと、「お金あっての命」です。
インフラを支えることの意義をもう少し門外漢は尊重したほうがいいのではないでしょうか?