問われているのは、過去を否定できるかどうか
最近よく感じるのは、これまでやってきた様々なことが、実はお互いに密接に関係し合っていたのだ、ということです。
30代後半から始めて14年間担当したマーケティングでは、実に色々なことを学びました。このマーケティングの経験を通じて、30代前半に製品開発やプレセールスの現場で学んだことを自分の中で整理できました。
「100円のコーラを1000円で売る方法」シリーズは、ここで学んだことがベースになっています。
またビジネスパーソンとして30年間仕事をしてきた中で、ビジネススキルについても色々と学びました。例えば仮説思考や論点思考という考え方も、そのようにして現場で身につけたことです。
そしてふり返ってみれば、これらもマーケティング戦略を考える基礎になっています。
「残業3時間を朝30分で片づける仕事術」も、そのようにして学んだことをまとめたものです。
そして昨年から担当している人材開発の仕事では、人材開発戦略の立て方、実施方法、業務改善の方法論など、これまでの経験がすべて活きています。
今年から多摩大学大学院で講義を担当させていただいていますが、上記のこれまで学んだことをすべて活用しています。
これは色々な経験から学んだ暗黙知が、実は掘り下げてみると同じところで繋がっている、ということなのかな、と思います。
ただ、注意しなければと思っているのは、そうやって学んできた今の自分をいかに否定できるか?
世の中を見ていると、過去に大きな成果を上げているのに、その成功体験が足かせになり、新しい時代に対応できていない、つまり時代遅れになっているケースも散見します。
田坂広志先生がよく紹介される話で、「砂絵曼荼羅」の話があります。リンク
チベット仏教の僧侶が、五色の砂を用い、七日間かけて、極色彩の曼荼羅を描く。
超人的な集中力と忍耐力が求められる儀式ですが、この儀式が終ったとき、僧侶たちはこの砂絵曼荼羅を一瞬にして崩して、その砂を川に流してしまいます。
変化が急激な今の時代だからこそ、チベット仏教の僧侶のように、過去の自分を、自分自身が無心で否定できるかどうかが問われているのかなと思います。