人間は、エゴを克服できるのか?
いま私たち人類が悩んでいる問題 -- 身近なものから国家レベルまで -- の多くの原因は、「人間のエゴ」にあると思います。
このエゴというものは非常に厄介なものです。気がつかないうちに色々な害をなしてしまいますし、無理になくそうとすると知らない間に肥大します。
なぜ人間はこの厄介なエゴを持っているのでしょうか?
それは恐らく、必要とされていたからだと思います。
昔は人間が必要とした仕組みで、今は必要性が失われているものは沢山あります。
例えば、人間は過剰に摂取した食べ物を脂肪として蓄積する仕組みを持っています。だから沢山食べると太るのですね。
これは、飢餓に備えてエネルギーを脂肪として蓄積するためだそうです。人類の歴史のほとんどの期間、飢餓が大きな課題でした。だからこれは合理的な仕組みだったのでしょう。
一方で私たちが先進諸国で飢餓から解放されたのは、つい最近のこと。ものが豊富にある社会になると、この過剰な食物を脂肪として貯める仕組みが、成人病など様々な問題を起こします。
これも、昔は人間にとって必要だった仕組みが、今はデメリットになっている例だと思います。
エゴの話に戻ると、エゴ(エゴイズム)は「利己主義」という意味です。
長い歴史で人類が生き延びるためには、自分自身や家族を守るために戦うことが必要であり、だから利己主義にならざるを得なかったのではないでしょうか?
1万年前に文明が始まり文明社会が生まれました。
文明社会同士も生き延びるために衝突して戦争が起こり、19世紀には産業革命で世界中がつながるようになり、20世紀にはさらに規模が拡大して世界大戦も2回起こりました。
数多くの戦争を経て、「世界は一つにまとまらなければならない」という認識が広がりつつある一方で、やはり多くの地域間・文明間の争いは残っています。そしてその多くは、エゴが生み出しています。
長い歴史の中で、人類が生き延びるために必要とされたエゴは、次第にその必要性を失いつつあるのかもしれません。
先日ご紹介した、田坂広志さんの「風の便り 特選」の第13便(2011年9月20日配信)で、ちょうどこのことが書かれていました。
ちょっと長い引用ですが、ご紹介します。
---(以下、引用)---
「歴史」が幕を開けるとき
すでに「過去」となりつつある、20世紀。
「戦争の世紀」と呼ばれたその時代を回顧する
ドキュメンタリー・フィルムを観ました。そのなかで、最も心に残ったのは、第二次世界大戦。
アウシュビッツ、ゲルニカ、硫黄島、広島、長崎・・・。それらの映像の中に映し出される
無数の人々の、極限の生。世界中が戦いの渦に巻き込まれ、
6500万の人々が命を失った。この戦争の記録を観るとき、
一つの問いが心に浮かびます。あの無数の人々が、
いまの我々の姿を見るならば、
何を思うだろうか。平和に慣れ、豊かさを当然と思い、
他者の悲惨に無感覚になっている
いまの我々の姿を見るならば、
はたして、何を思うだろうか。そのことを考えるとき、
一つの言葉が心に浮かんできます。人類の「前史」
我々は、未だ、戦争と貧困に苦しむ
人類の「前史」の時代を歩んでいる。その言葉が、心に浮かんでくるのです。
では、人類の本当の歴史は、いつ始まるのか。
それは、我々が、
一つの真実に気がついたときでしょう。あの無数の人々の姿は、我々自身の姿である。
そのことに気づいたとき、
我々の本当の歴史が、
幕を開けるのでしょう。---(以上、引用)----
現代に至るまで、人類は環境に合わせて着実に進化してきました。
だからこそ、エゴが害をなすようになった今、人類は再びそれを克服していくでしょうし、人間はその叡智を持っていると思います。