多くの挫折を経験し、ノーベル賞を受賞された山中教授
ノーベル賞を受賞された山中教授。素晴らしいですね。
2006年にIPS細胞を作成しそれからわずか6年でノーベル賞受賞。
実は私一つだけ共通点があります。それは年齢。私も同じ50歳です。ノーベル賞を受賞された方々の中では、かなり若い方です。
さぞ順調なエリートコースを歩まれたのだろう...と思いきや、まったく逆でした。
2012/10/9の日本経済新聞の記事『山中氏の横顔、「手術下手」基礎研究に転向、挫折経て人の3倍努力。』を拝読すると、実は様々な挫折を繰り返し、色々なご苦労をなさって、今日に至ったことが分かりました。
---(以下、引用)---
卒業して研修医になったが、同僚が数十分で終える手術でも何時間もかかり、「ジャマナカ」のあだ名を付けられた。「手術はうまくない」と悟り、基礎研究の道に転じる決心をした。
(米国から) 帰国して1996年に大阪市立大の助手になったが、本人が「ポスト・アメリカ・ディプレッション」と呼ぶ鬱状態に。.....一人で行う実験用のネズミの世話がまた大変で、今度は「ヤマチュウ」と呼ばれるようになった。
転機は99年、奈良先端科学技術大学院大の助教授に採用されたこと。政府の助成機関から研究費も獲得できた。....(審査で) 山中教授は緊張しながらも「やろうとしている研究内容を一生懸命説明した」。岸本元学長は「ほんまにできるんやろうか」と疑ったが、熱意に押され「千に三つでも当たれば成功」と助成を決めた。これがiPS細胞開発の端緒となった。
---(以上、引用)---
記事を拝読して、私が1996年の頃はどうだったか、1999年の頃は、とか、色々と考えました。
記事では、山中教授の座右の銘が二つ紹介されています。
「ビジョン・アンド・ハードワーク」
「人間万事塞翁が馬」
山中教授ならではの説得力があり共感する言葉ですし、大変僭越かもしれませんが、同世代としてもとても勇気をいただける受賞です。
もう一つは、山中教授が常に「周りの人達に感謝」という言葉を口にされていること。「感謝は全てを癒やす」という言葉もありますが、「感謝の心」の強さを改めて実感します。
ご受賞、おめでとうございます。