ネットワークと人間の知性に関する考察
2012/08/25の日本経済新聞のコラム「情報に押し流される知性―進歩するネット、倫理の模索続く」で、ネット利用が人間や社会に与える影響を考察しています。
読み応えのあるコラムでした。ごく一部ですが、当ブログで引用させていただきます。
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だがSNSの即時性は、極端な主張がドミノ倒しのように広がる怖さと裏腹だ。あるサイトに批判や中傷が殺到して「炎上」したり、ネット掲示板で差別的な書き込みが集中したりするのは珍しくない。「SNSの『空気』を読むと、反対意見を言いにくくなる」(堀内氏)
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これは確かに感じます。
そしてふり返ると、自分もそのような空気作りに荷担している場合があります。
例えば昨年3月の東日本大震災の際、福島第一原発については、SNS上では「パニックになるのであまりセンシティブに騒がないように」という空気がありました。私も当ブログでそのように書いていました。
しかしそれは「危機的な状況でなくあって欲しい」→「危機的な筈はない」という願望も少なからず入っていたように思います。
実際には危機的な状況だった訳ですが、仮にこの状況を知っていた人が事実を伝えようとしたとしても、伝えにくい空気があったのは確かです。
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では利用者はどうすればよいのか。ネットワーク科学が専門の増田直紀・東大准教授は「意識的に『弱い紐帯(ちゅうたい)』を採り入れた方がいい」と説く。弱い紐帯とはあまり親密ではない人との関係のようなものを指す。例えばツイッターで自分と違う立場の人をあえてフォローすれば、思いがけない意見や情報を目にする可能性が高まる。「検索システムもこれからそんな『偶発性』を織り込んだ設計になるかもしれない」と増田氏はいう。
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ここに書かれているように、多様な意見に接するのは考えが偏るのを防ぐ上で有効です。
しかしそのためには、自分の考えと異なる様々な考え方を許容する「成熟さ」が求められます。
コラムでは、そのことについても触れられています。
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石田英敬・東大教授(メディア論)は......ネット上の断片的な情報に反射的に反応してしまうのではなく、「『ネットを使っている私』を一歩引いて眺めることで、自分という人間の意識を再統合し、思考を組み立てていく知性が必要」と強調する。
---(以上、引用)----
まさに断片的なネット情報に接するための「成熟さ」について書かれた部分です。
思い返せば、病院である症状と診察された際に、医者から言われたことがあります。
「ネットの情報を色々と検索しても、玉石混淆だし、どちらかというと素人療法も多い。過度に参考にしない方がいいですよ」
確かにネット上には、様々な断片的な情報に満ち溢れています。それらは必ずしも正しい情報ばかりではありません。中には誤っていたり、あるいは故意に間違った情報を流していることも多いのです。
ネット社会の現在、新たなメディア・リテラシーが我々に求められているのではないでしょうか?
このように考えると、
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....批評家の千葉雅也氏は「ネットで何でもできるという万能感を持つのではなく、自分という人間の限界を実感する契機にすべきだ」と話す。これからはネットを使う一人ひとりが、情報技術とのより良い付き合い方を考えていく必要がありそうだ。
---(以上、引用)----
ネットの限界は、結局人間の限界である、という考えは、その通りだと思います。
ご興味がある方は、是非、日本経済新聞の当コラムをご一読下さい。