「六重苦」と言われる日本で、全交換レンズを会津で生産し、世界中で販売するシグマ
私が写真を始めたのは1979年頃。
当時のシグマも、現在と同じレンズ専業メーカーでした。
ただ、現在は高品質レンズを作っているシグマですが、当時シグマが作っていたレンズは、キヤノンやニコンといったカメラメーカー系のレンズ(純正レンズ)と比較して、廉価版という位置づけでした。
当時発行されていた「カメラ毎日」のレンズ白書でも、カメラメーカーの純正レンズと比較して画質の数字が見劣りしていました。
ということで、現在の高性能シグマレンズを知っている方々は想像もできないかもしれませんが、昔のシグマのレンズは、カメラ店でかなり安く売られていました。(現在も価格競争力がありますが)
シグマ製レンズの画質は1990年代頃から向上し始めました。「ライカのレンズは、シグマが作っている」という話もあるほど。確かに、最近のシグマのレンズは素晴らしい性能を誇っています。時代は大きく変わりました。
それがいかに実現できたか、ということが、@IT MONOistの本田雅一さんのコラム「超円高・デジタル化が生んだ“転機”、会津から世界を見据えるシグマのモノ作り」に書かれています。
実は、シグマは全交換レンズを、日本国内の会津で生産しているそうです。
その規模、敷地面積78000平方メートル、建坪35000平方メートル、従業員1500人。ほぼフル稼働で生産しているそうです。
しかも、材料以外の全てをこの工場で作っており、海外ブランドの多くのメーカーのレンズも生産しているそうです。(先のライカの話は記事には出ていませんが)
まさに記事にある通り、「一極集中の垂直統合」
記事によると転機は1990年代の円高で、他レンズメーカーは海外生産へ軸足を移す中、カメラメーカーも純正レンズとセット販売を始めたため、画質向上で勝負する方針を決めて徹底的に会津工場に投資、2000年頃から成果が出始めたそうです。
これも記事に書かれているように、ちょうどデジカメが出始め、誰でもピクセル等倍でレンズ画質を確認できるようになった時代です。
確かに、私が写真を始めた1970年代の頃は、そんなに簡単にレンズの性能は分かりませんでした。
そこで、シグマはデジタル時代を意識してブランド再構築を進めたそうです。
記事の中で、社長の山木さんは以下のように語っておられます。
「われわれの高品質路線への転換は、円高から止むに止まれず進んだ道でした。しかし、実際にやってみると、苦労は多くともそっちの方が楽しく、どうせどちらも苦労する道ならば“社員みんなが楽しめる会社でありたい”、そう思い始めました」
確かに、写真の世界では、ちょっとした違いに大金を投じる顧客が結構います。(私もそうでしたから)
詳しくは、是非本田さんの記事「超円高・デジタル化が生んだ“転機”、会津から世界を見据えるシグマのモノ作り」をご覧いただければと思います。
最近、よく新聞で「六重苦」という言葉を見かけます。
「円高」、「高い法人税」、「海外との経済連携の遅れ」、「電力不足」、「厳しい労働規制」、「環境制約」、といった「六重苦」が足かせになり、企業が日本から海外生産にシフトし「国内産業空洞化」が起こる、と言われています。
確かにコモディティ化が進んでいる世界では、安い価格で販売することを迫られてしまい、なかなか難しいでしょう。しかしそんな世界でも、本記事のシグマのように、こだわりの顧客に、高付加価値を提供している事例は存在します。
そのような顧客を見つけ、その顧客への価値提供をひたすらまじめに考えて実行していくことで、日本発でも十分な競争力が持てる可能性があることを、このシグマの事例は教えてくれるように思います。
しかも、シグマの会津工場は、福島県にあって頑張っているのですから。