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日本の過去1000年以上の地震年表で、日本の地震の傾向がかなり分かる件

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Wikipediaの「地震の年表」で、日本の過去の巨大地震の一覧を見ることができます。

これを見ると、過去、日本の至る所で大きな地震が発生し、多くの犠牲者が出たことが分かります。

一覧では非常に多くの地震がリストされているので、下記にM8以上または死者1000人以上のものに限定して、挙げてみました。

参考までに、犠牲者の数のインパクトを把握するために、当時の日本の人口も合せて調査しました。(Wikipediaの「近代以前の日本の人口統計」及び「国勢調査以前の日本の人口統計」を参照。なお、近代以前は複数の調査研究を参照しているので人口推定値に幅があります)

1世紀 高知県土佐市で高知大学が超大型津波痕跡を発見。M9級の東南海地震によるものと推定
684年11月29日 白鳳地震(南海地震)M8.0~8.3、死者多数。土佐で大きな津波被害。ほぼ同時期に東南海・東海地震も発生
869年7月9日 貞観三陸地震 - M8.3~8.6、貞観津波の被害で死者約1,000人
【当時の日本の人口:600万人~700万人】

887年8月26日 仁和地震(南海地震) - M8.0~8.5、京都・摂津で死者多数。津波あり。ほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
1096年12月17日 永長地震(東海地震)- M8.0~8.5、死者1万人以上。伊勢・駿河で津波による大きな被害
1099年2月22日 康和地震(南海地震)- M 8.0~8.5、死者数万。土佐で津波により大きな被害
【当時の日本の人口:575万人~700万人】

1200年頃 地質調査によれば南海・東南海・東海地震が発生。
1293年5月27日 鎌倉大地震 -M7.1、死者2万3,000人あまり、余震多発。
【当時の日本の人口:700万人~975万人】

1360年11月21日・22日 紀伊・摂津地震(東南海地震?) - M7.5~8.0、死者多数。津波あり
1361年8月3日 正平・康安地震(南海地震)- M8.0~8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害

1498年9月20日 明応地震(東南海・東海地震) - M8.2~8.4、死者3万~4万人以上。伊勢・駿河で津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる。ほぼ同時期に南海地震も発生。
【当時の日本の人口:800万人~1700万人】

1586年1月18日 天正大地震 - M7.8~8.1、死者多数
1596年9月5日 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上
17世紀前半 千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定
1605年2月3日 慶長地震(東海・南海・東南海連動型地震)- M 7.9~8、関東から九州までの太平洋岸に津波、死者1万~2万人
【当時の日本の人口:1200万人~2200万人】

1611年9月27日 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。
1611年12月2日 慶長三陸地震 - M 8.1、死者約2,000~5,000人。
1662年6月16日 近江・山城地震 - M7.4~7.8、死者数千人。
1666年2月1日 越後高田地震 - M6.4、死者1,400~1,500人。
1703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震) - M8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波
【当時の日本の人口:2800万人】

1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M8.4~8.7、死者2,800~2万人以上。49日後に富士山の宝永大噴火。
1741年8月28日 北海道西南沖の大島で火山性地震 - M 6.9、死者2,033人。大津波発生
1751年5月21日 越後・越中地震 - M 7.0~7.4、死者1,541人。高田で火災など。
1766年3月8日 津軽地震 - M 6.9、弘前城損壊など。死者約1,500人。
1771年4月24日 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4~8.0、死者約12,000人。最大波高85m
1792年5月21日 島原半島で土砂崩れによる大津波(島原大変肥後迷惑) - M 6.4、死者約15,000人。
1793年2月17日 三陸沖で地震(連動型宮城県沖地震) - M 8.0~8.4、死者100人程度
1828年12月18日 越後三条地震 - M 6.9、死者1,681人。
1843年4月25日 十勝沖地震 - M 8.0、死者46人。厚岸に津波
1847年5月8日 善光寺地震 - M 7.4。山崩れと洪水、死者約1万~1万3,000人。
1854年7月9日 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7.6、死者約1,800人。
1854年12月23日 安政東海地震(東海・東南海地震) - M8.4、死者2,000~3,000人。房総半島から四国に津波
1854年12月24日 安政南海地震 - M8.4、死者1,000~3,000人。紀伊・土佐に津波で大きな被害
1855年11月11日 安政江戸地震 - M6.9、死者4,700~1万1,000人。
1891年10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人
1896年6月15日 明治三陸地震 - M8.2~8.5、死者・行方不明者2万1,959人。
【当時の日本の人口:4200万人】

1923年9月1日 大正関東地震(関東大震災) - M7.9、死者・行方不明者10万5,385人
【当時の日本の人口:5600万人】

1933年3月3日 昭和三陸地震 - M 8.1、大津波発生、死者・行方不明者3,064人。
1944年12月7日 昭和東南海地震 - 三重県沖、M7.9、死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊で津波
1945年1月13日 三河地震 - M 6.8、死者・行方不明者2,306人、津波あり
1946年12月21日 昭和南海地震 - 和歌山県沖~四国沖、M8.0、死者・行方不明者1,443人、房総から九州で津波
1948年6月28日
福井地震 - M 7.1、死者・行方不明者3,769人
1952年3月4日 十勝沖地震 - M 8.2、死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波
1995年1月17日 兵庫県南部地震(阪神大震災) - M7.3、死者・行方不明者6,437人
2003年9月26日 十勝沖地震 - M8.0、北海道で最大震度 6弱、死者2人
2011年3月11日 東日本大震災 - Mw 9.0(M 8.4)、死者・行方不明者2万人以上。北海道から関東地方にかけて太平洋沿岸部への大津波で甚大な被害

これを見ると、過去の地震では、やはり津波が非常に大きな被害をもたらしているケースが多いことが分かります。最大波高85mというケースもあります。

人口700万人程度の時代に数万人の犠牲者が出ている時代もあります。どれほどの甚大な被害をもたらしていたのか、....想像を絶します。

また、20世紀後半の時期は、阪神大震災を除くと、日本の歴史上、例外的に地震の被害が少なかった時期であったことも分かります。

地震と大津波による大災害は、日本の歴史上では、日常茶飯事だったのですね。

 

参考までに、首都圏地域で、過去発生した地震もピックアップしてみました。

818年 北関東で地震 - M7.9、死者多数。
878年10月28日 相模・武蔵地震 - M7.4、死者多数
1293年5月27日 鎌倉大地震 - M7.1、建長寺などで火災発生、死者2万3,000人
1433年11月7日 相模地震 - M6.7、死者多数。津波により利根川が逆流
1615年6月26日 江戸地震 - M6、死者多数。
1633年3月1日 相模・駿河・伊豆地震 - M7.1、死者110~150人。駿河・熱海に津波。
1649年7月30日 武蔵・下野地震 - M7.1、死者多数。
1703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震) - M8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波
1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M8.4~8.7、死者2,800~2万人以上、関東から九州までの太平洋岸に津波。49日後に富士山の宝永大噴火
1812年12月7日 武蔵・相模地震 - M6、死者多数。
1853年3月11日 小田原地震 - M6.7、死者約20~100人。
1854年11月11日 安政江戸地震 - M6.9、死者4,700~1万1,000人。
1894年6月20日 明治東京地震 - M7.0、死者31人。
1921年12月8日 竜ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
1923年9月1日 大正関東地震(関東大震災) - M7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最悪)。
1924年1月15日 丹沢地震 - M7.3、死者19人。大正関東地震の余震。

江戸に幕府が出来てから結構頻繁に観測されています。逆に、それ以前は歴史に残されていないのかもしれません。

地震が集中している時期と、間が空く時期があることも分かります。

 

地震の歴史を見てみると、色々と学べることがありそうです。

このような凄まじい日本の地震の発生状況を見ると、今回、様々な場面で耳にする「想定外だった」という言葉がむなしく聞えてしまうのは、私だけでしょうか?

少なくとも日本に住んでいる以上、「大地震は必ず、いつか来る」という前提で、様々なことを考えていく必要がある、ということを再認識しました。

 

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