多国籍企業とグローバル企業は、何が違うか?
日本人だけの知識や経験に頼る経営は限界に近づく。グローバル成長へ、企業は人材鎖国を開く覚悟を求められる。
昨日(1/19)の日本経済新聞「企業 強さの条件 本社は日本に必要か」の最後は、このように締めくくられていました。
本記事では、IBMのパルミサーノ会長の「多国籍企業から、グローバル企業へ」という言葉も紹介されています。
日本IBMでグローバル企業化が進む真っ直中にいて、これは身に染みて感じます。
私が日本IBMに入社した1984年は、日本IBMは「多国籍企業」でした。
非常に大雑把に言うと、「本社の機能をコピーして現地法人を展開する」のが多国籍企業です。
日本法人である日本IBMも、米国IBM本社と同じ機能(研究開発、生産、営業、マーケティング、営業業務、サポート、人事、会計、総務、等々)を全て持っていました。
日本だけではなく、ドイツ、フランス等の各国も、基本的に米国IBM本社と同じ機能を持っていました。
現地法人の数だけのIBMがある、ということですね。
グローバル化が進み、インターネットで距離の壁がなくなり、多国籍企業がグローバル企業に進化すると、各国で機能を分担し、世界全体で一つの会社として機能するようになります。
例えば、私が入社した1980年代は、全国各地の日本IBMの営業所には、営業担当者とほぼ同じ数の営業業務担当者がいて、お客様との契約書を作ったり、受注情報をオーダー入力したり、といったことを、行っていました。
しかし現在、日本の各営業所には営業業務担当者はいません。
この業務は、中国の大連でインターネットと電話を使って情報をやりとりしながら行なうようになりました。
社内コールセンターも中国に移りましたし、お客様プロジェクトの開発も中国やインドからデリバリーする体制を進めています。他にも様々な業務が世界の各地で分担するようになりました。
また、1990年代の日本IBMは、ほぼ日本人の社員だけでした。
しかしグローバル化が進み、ここ数年で海外から日本IBMに長期出張して一緒に仕事をする人が急に増えてきました。
私が所属するソフトウェア事業でも、とても多くの海外IBMからの仲間がいます。
日々の仕事で彼らと話をしていると、日本人だけではなかなかわからない気付きが得られます。
創造的な考えは、多様性の中から生まれるのですね。
冒頭の記事にある「日本人だけの知識や経験に頼る経営は限界に近づく」というのは、まさに日々感じていることでもあります。
考えてみれば、これだけ人々の生活までに入り込んだグローバル化を経験するのは、日本人だけが初めてなのではなく、多くの他の国々の人も初めてです。
日本人だけのチャレンジなのではありませんし、日本だけが特殊なのではありません。
私達日本人が、海外の人々と自然に切磋琢磨できるようになれば、よりよい世の中になるかもしれません。