多数決は最悪の意思決定方法?
民主主義的に意思決定する際、最後は「では、多数決で」と決議することが多いと思います。
しかし、多数決そのものは、民主主義ではありません。
私自身は、民主主義とは、異なる立場の意見をお互いに話し合い、理解しあい、相手のよい部分は取り込み、自分のよい部分は相手に認めてもらい、より高いレベルの解決策を見出していくプロセスである、と理解しています。このためには論理的な議論が必要です。
多数決に持ち込まざるを得ない、ということは、このようなプロセスが十分に働かず、より高いレベルの解決策が見出せなかった場合に起こります。
複数人候補者がいて誰かを選ばなければならない選挙のような場合は、多数決を採らざるを得ませんが、それでも議論しあってよりよい解決策を話し合うプロセスは選挙でも行われています。
このような観点で現在の国会を見ていると、長い間「多数決」でのみ意思決定してきたツケが一気に出た、という印象を持ちます。
戦後、一時期を除きほぼ一党独裁だった自民党は、与党である立場を使って、主に党内調整で政策決定し、多数決の論理で力で押して決議してきました。
いわゆる「ねじれ国会」で、法案を通すために、はじめて反対意見と真正面から向き合うことになりました。
しかし、与党はなかなか相手の立場を理解した提案ができていません。
一方の野党もまた、原理原則に固執し、議論できていません。
これは、民主主義の根幹をなす弁証法の前提である「反対の意見をぶつけて、徹底的に議論を行い、よりよいものを一緒に作っていこう=正反合」というモチベーションが働いていないからなのではないでしょうか?
ここ数ヶ月間、このような思考停止状況が続いていましたが、日銀の白川総裁がほぼ決まる見込みですし、あの小泉さんも出来なかった道路特定財源の一般財源化も野党の強い反対を受けて進みそうです。
今回のいわゆる「ねじれ国会」の騒動では多くの混乱がありました。
これが、「多数決」のみに依存していた日本の意思決定構造が変わっていく契機にしたいですね。