リーダーの存在感
ベルリン・フィルの正指揮者であったフルトヴェングラーの偉大さを示す逸話として、こんな話があります。
ベルリン・フィルがある客員指揮者で練習している時に、ティンパニ奏者がスコアのチェックをしていると、突如、ベルリン・フィルの音色が本番さながらのものに変わったそうです。
驚いたティンパニ奏者が会場の客席を見ると戸口にフルトヴェングラーが立っていました。
偉大な指揮者はそこに存在するだけで音を変えられる逸話として、よく引用されています。
昨日、同じような経験をしました。
私が所属している合唱団では、土曜日午後に事前練習を行い、夜18:00から本練習を行っています。指揮者の先生が参加されるのは18:30からです。
昨日は18:00から団員全員で新曲を伴奏を付けて声合わせをしていました。
前回の練習では、指揮者の先生が期待するレベルに達しておらず、先生からは「次回までに必ずレベルアップしておくように」と厳命されました。そこで、この1-2週間で各自が個別に練習してきた内容を合わせるための声合わせでした。
18:20頃、先生が練習会場に現われ、団員は皆先生が来たことに気がつきました。不思議なことに、その瞬間音色が変わり、レベルアップしました。
先生がいない状態で声合わせを行っている状態と、先生が聴いている状態で声合わせを行っている状態では、やはり緊張感が違うということのようです。
私達の場合は、先生がその場にいることに分かり、それがよい緊張感を生む結果になりました。
フルトヴェングラーの場合、ベルリン・フィルのメンバーはフルトヴェングラーが戸口に立っていることに気がついたかどうかは分かりません。
しかし、もしメンバーがその存在に気がつけば、確かに、このようなことはあるのだ、と納得した次第です。
音楽の世界に限らず、ビジネスの世界でも、リーダーの存在価値というものは、実際にはこのようなところにあるのでしょうね。