「最近の若いもんは...」、と大昔から言われるのは、なぜ?
奈良時代だったか平安時代に建てられた建物に、当時の宮大工が書いた落書きがあったそうです。学者が調べて解読したところ、こう書いてあったそうな。
「全く、最近の若いもんはなっておらん!」
ことほどさように、
「最近の人達は昔と比べて変わった。」
「昔はこうではなかった。こうしていたし、ああしていたし。」
「昔はよかった。なんで今はこうなったんだろう?」
とよく言われますが、千数百年前の宮大工の例を持ち出すまでもなく、これは人類が誕生して文化が生まれてから言われ続けていることのようです。
ということで、世の中は最終的にはどうしようもなく混沌とした世界になってしまうのでしょうか?
私は、必ずしもそうは思えません。むしろ、田坂広志さんが指摘されているように、ヘーゲルの弁証法に従って、世の中は螺旋的な発展を遂げていると思います。
では何故、「最近の若いもんはなっておらん!」になってしまうのでしょうか?
一つには、人は自分の過去を意識せずに美化して考えてしまう、という点があるかもしれません。確かに、自分自身は若い頃は結構いい加減だったのに、そのような事実は忘れて、現在のそれなりに分別のついた自分を基準に考えてしまう傾向がないとは言えません。
しかし一方で、厳然たる事実として、昔は参加者のモラルが高くうまく回っていた仕組みが、最近はうまく動かない、というケースもあったりします。企業の中では、このようなケースは結構多いのではないでしょうか?
この原因を人のモラル低下に求めるのは簡単ですが、このような指摘をしたところでモラルが上がる訳ではありません。従って、これだけでは問題は解決しません。
このような問題は、市場の求めるものと企業が提供するものの関係に当てはめてみると分かり易いのではないでしょうか?
例えば、昔は参加者のモラルが高くうまく回っていた仕組みは、時代背景や状況など、それがうまく動いていた理由がある筈です。これがうまく回らなくなった場合、背景や状況がどのように変わってきたかを検証する必要があるのではないでしょうか?
例えば状況や時代背景が変わると、参加者自身の優先順位は当然変わってきます。以前は優先順位が高く、従って参加者も自発的・積極的に参加しうまく回っていた仕組みも、優先順位が下がると積極的に参加しなくなり、仕組みがうまく回らなくなります。
このような状況変化を丁寧に分析し、その仕組みをどのように変えるかを考える必要があるのではないかと思います。
また、そもそのその仕組みは何故生まれたのかも考えて、場合によってはその仕組みを時代背景にあわせて代替することも考える必要があるかもしれませんね。