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"The World Is Flat"が示す、世界フラット化の要因(1)

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今回から、Tom Friedmanが"The World Is Flat"で示したフラット化10の要因の概略をご紹介します。今回は第一の要因から第五の要因までです。

第一の要因:ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日のベルリンの壁崩壊の意味は、単に東西ドイツが統一され、東ドイツの人達が解放された、というだけの話ではない、とFriedmanは述べています。

それまで、世界全体が東と西に分断されており、ベルリンの壁は、世界が単一市場・単一生態系・単一コミュニティであるという考え方を阻害する象徴的な「壁」になっていました。

しかし、ベルリンの壁の崩壊は、西と東の境界を消滅させました。この結果、私達は初めて「グローバル」という視点を持つようになりました。

また、同じ1989年に発売されたWindows 3.0により、電話やFaxに代わってパソコン通信のeメールによるコミュニケーションが普及し、フラット化を促進しました。東側諸国の民主化もこれにより促進された面がありました。

 
第二の要因:ネットスケープのIPO
1995年のネットスケープのIPO(株式公開)は、二つの点で重要な意味を持っていました。

第一の点は、言うまでもなくブラウザー誕生によりインターネットを活性化させた点。

第二の点は、これがドット・コム・ブームの契機となり、さらに光ファイバーケーブルへの過剰投資を生んだ点です。

バブルで大きな資金がインターネット業界に吸い寄せられ、イノベーションをさらに加速させました。地下や海底等、至るところに光ケーブルが敷設され、価格競争が起り、非常に安価に高速ネットワークが使えるようになりました。その後、多くの通信会社が負債を抱えて倒産しましたが、光ファイバーケーブルはそのまま残ったことで、全世界でデータの伝送コストが実質的にゼロになりました。

実は、これによりインドが大きな恩恵を得ましたが、これは後述します。

 
第三の要因:ワークフロー
Friedmanは、アプリケーションソフトやミドルウェア等、「コンピュータ相互を接続するモノ」を総称してワークフローと呼んでいます。複数の企業のバリュー・チェーンがワークフローで接続されることで、効率が飛躍的に向上します。このための技術要素として、XMLやSOAP等のWeb連携のための技術基盤が生まれ、ソフト同士を自動的に連携させることも可能になりました。SOAは、この動きをさらに加速させます。

Friedmanは、この例のように、標準はイノベーションを阻害するものではなく、むしろ互いのインターフェイス調整などの余分なワークロードを削除し、我々をイノベーションそのものに集中させる働きを持っている、と言っています。

確かに、近年のITは標準化が非常に進んできているように思います。私達の課題は、これらの標準技術をいかに活用し、インサイトと組み合わせてインベーションを起こしていくか、という点ではないでしょうか?

 

第四の要因:オープン・ソース
ITmediaの読者の皆様には、改めてオープン・ソースとは何か、を説明する必要はないでしょう。

オープンソースは、新しいコラボレーションの形を提示しています。

従来は、特定の個人の能力で性格付けられたイノベーションが多く見られました。一方で、オープン・ソースコミュニティでは、Wikipediaでも見られるように、多くの個人がコミュニティで協調しあうことでイノベーションが生まれます。

これが現代のイノベーションの特徴とも言えるかもしれません。

 

第五の要因:アウトソーシング
アウトソーシングが幅広く普及したきっかけは、Y2K対応でした。

Y2K対応のためのソフト修正は、膨大かつ骨の折れる仕事で、米国の経営者は、「できれば自社ではやらないで済ませたい」というのが本音でした。

では当時、安価なソフトウェア・エンジニアを沢山抱えているのはどこか、というと、 答えはインドでした。

1951年、インドの初の首相ネルーが設立したIIT (India Institute of Technology)は、50年間で数十万人のエンジニアを輩出し、米国の大学院と比べても非常に高いレベルを誇っていました。同様に、インドでは多くの私立大学がエンジニアを送り出していましたし、卒業生は英語も堪能でした。

さらに、ドットコム・バブルが生み出したネットとコンピュータを活用すれば、米国とインドの地理的な距離は障害とはなりませんでした。しかもインドの人件費は桁違いに安いのです。

「出来る限りお金をかけずにY2K対応を済ませたい」と考えていた経営者にとって、インドへのY2K対応業務委託は理想的な解決策でした。事実インド人は複雑なシステムを非常に高い品質で提供しました。

このインドへのIT関連業務委託の流れはY2K対応が終わってからも続きました。

ドットコム・バブル崩壊で、投資家による企業投資が大きく削減され、米国IT責任者はITコスト削減を求められました。Y2K対応でインドIT産業の品質の高さを身をもって知った彼らは、インドへ様々なIT関連作業の外注を継続しました。

また、以前はインドから海外に出て活躍できる人達はほんの一握りでした。ドットコム・バブルの際、そのようなインド人達がシリコンバレーで活躍していましたが、ドットコム・バブル崩壊で彼らの多くは職を失い、インドに帰国し、高速ネットワークを活用し、米国で得たスキルと人脈を活用して米国からの仕事を受注するようになりました。

つまり、Y2K対応は、「インドが西側社会と高品質でコラボレーションできる」という力を世界に知らしめる契機となりました。「Y2Kはインドの独立記念日とし祝日にすべき」と言う人もいます。

 

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このように見ていくと、様々な要因が複雑に相互に絡み合い、世界のフラット化が急速に進んできたことが分かります。

特に、ベルリンの壁崩壊がフラット化の契機になったことや、米国からインドへの大量のY2K対応業務委託が世界中でアウトソーシングが普及する契機となったこと等は、当時の多くの日本人にとっては身近な出来事と感じられなかったのではないでしょうか?

次回でご紹介する第六から第十の要因は、さらに我々の生活に密着したものになります。

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