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シリコンバレーのサムライ・ウルフが、イノベーションについてつぶやきます。(時々吠えることもあります。)

反骨精神が育てたスタンフォード大学

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 シリコンバレーを語る時に欠かせないのが、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校などの存在だ。特に、シリコンバレーの中心に位置するスタンフォード大学は圧倒的な存在感を示している。地域振興の中心的存在としてそこから学ぼう、と日本からも視察が多い。しかし、成功した結果の姿だけを見ても本質は見えにくい。

 実は、1940年頃までは、シリコンバレーはほとんど技術や産業の集積のない田舎だったし、スタンフォード大学も無名校だった。ここからどうして現在のように発展したのか、その歴史から学ぶことが重要だ。

 当時のスタンフォード大学は、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などの東部の伝統校のような基盤がなかったので、優秀な教授や学生はなかなか来なかった。せっかく優秀な学生を育てても、卒業すると東部に就職してしまう。連邦政府からの研究予算も東部の有名大学に押さえられていた。

 そこで、スタンフォード大学は中央に頼るよりも地域の産業発展に心を砕いた。広大な土地を持っていたので、スタンフォード・リサーチ・パークを建設し、研究開発型企業を集積させた。しかし、「研究開発型企業を集積」と言っても、大学自体が価値を提供しなければ画餅と化す。スタンフォード大学は、東部のMITからF.ターマン教授という実力者を招聘し、連邦政府からの研究予算獲得や民間企業からの寄付集めを軌道に乗せた。これにより、急速に大学の業績が向上した。

 同時に、地域でのベンチャー企業の成長が大学にとって死活問題だと考え、ターマン教授はベンチャー創業を積極的に指導した。学生だったB.ヒューレットとD.パッカードに事業を興すことを進め、二人に仕事場として自宅のガレージをあてがったのは有名な話だ。この二人の名前をとったヒューレット・パッカード社は、現在では売上げ規模一千億ドル以上を誇る世界的なコンピュータ・IT企業となった。ちなみにこのガレージは、今でも存在し、小さな銅板には「シリコンバレー発祥の地」と記されている。

 スタンフォード大学のように何も基盤のないところから一流大学に発展してきたその原動力は、東部というエスタブリッシュメントに対する反骨精神だった。この反骨精神、自立心が起業マインドの源泉だ。これが、教授自ら学生のベンチャー育成を奨励するカルチャーにつながり、シリコンバレーという企業群を生み出す基盤ともなった。その象徴的な成功例はヤフーだろう。インターネットが商用化されたばかりの1994年、当時工学部電気工学科博士課程の学生だったJ.ヤン(当時26歳)とD.ファイロ(同29歳)は、研究の合間にウェブのディレクトリー(電話帳のようなデータベース)を作り上げた。それがその後の標準となり、ウェブの基盤として世界的な企業となった。担当教授は、ベンチャーの方が忙しくなったヤンとファイロの休学の願いを受け入れたばかりでなく、逆に激励してくれたという。

 様々な分野の専門家たちが柔軟でオープンな人的ネットワークで結ばれていることが、シリコンバレーの事業創造のカルチャーだ。そのなかでスタンフォード大学は、シリコンバレーの人的ネットワークの舞台として欠かせない存在となっている。起業マインドのある優秀な人材を輩出し(理工系卒業生の半数はベンチャー系に就職すると言われている)、産学間のオープンな情報交流の場を提供し、成功者の経験が後に続く人たちに受け継がれる触媒となっている。

 しかし、大学はあくまで裏方だ。主役は自主的に活動する学生、ビジネスマン、起業家、エンジニアなどの個人である。産業振興の視点から見た大学の役割は、これら個人の交流を促進する環境を裏方に徹して提供すること。スタンフォード大学の強さはそこにある。

(日経産業新聞 8/28/2015)

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