シリコンバレーのサムライ・ウルフが、イノベーションについてつぶやきます。(時々吠えることもあります。)

「リケジョ」が死語となる日

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今週、私の会社が出資しているベンチャーキャピタル(VC)の総会がサンフランシスコで開かれ、私も出席してきた。そこで強く印象づけられたのは、女性の活躍だ。世界に広がる運営をまとめている経営トップは女性だし、ハイテクベンチャーの投資関係の報告で壇上に上がるのも女性だった。会場にいた我々のような投資家の中でも、女性の出席者が目立った。

今、アメリカはセクハラ疑惑による政治家や経営者の失脚が相次いでいる。その背景には「女性が差別を我慢しなくなった」という意識の進化があるように思う。私のオフィスはシリコンバレーのVC銀座と言われる通り沿いにあるが、「どこどこのVCのパートナーがセクハラで訴えられた」といううわさ話が時々聞こえてくるようになった。これらは男女同権のために通らなくてはならない道程なのだろう。

グーグルのエンジニアが社内で回覧したメールが最近外部に出て話題となった。「女性はエンジニアに向いていない。グーグルは男女平等を標榜するあまり適合性のない女性を採用している」と。確かに男女の違いについて語ることがタブーになるのは行き過ぎだろうが、このグーグルのスタッフの「女性はエンジニアに向いていない」というコメントは根拠がないばかりか、せっかくの先人の男女同権への努力に水を差すものだ。

 先日、久しぶりに母校のマサチューセッツ工科大学(MIT)に行ってきた。私が留学時代に師事したドレッセルハウス教授が亡くなり、大学が催した「偲ぶ会」に参加するためだ。世界中から集まった教え子たちが、学会風にスライドを使った発表を行い、別の講堂では、先生を偲ぶ気持ちを研究発表風に表現したポスターセッションを催した。MIT学長も参加し弔辞を述べたが、教授の残した偉業を大いに讃えた。

 実は、ドレッセルハウス教授は女性だ。1960年代にMITに赴任し、その後女性として初めてMITの正教授となった。その後、米国物理学会会長、米国科学アカデミー理事、大統領の科学政策顧問など数え切れないほどの要職を歴任し、最近では大統領自由勲章(米国で文民に贈られる最高位の勲章)を受賞した。

教授が心を砕いたのが、女性の科学技術への進出だった。

MITと言えば、堅物の男性研究者の集まり、というイメージがあるが、私が留学した1980年中頃、すでにドレッセルハウス研究室には女性の研究者が世界中から集まっていた。メキシコから留学していた女性はその後メリーランド大学の教授となった。台湾人の女性はカリフォルニア工科大学教授となり、アメリカ人のポスドクの女性は現在ノースカロライナ大学で教えている。

MITのキャンパスを懐かしく歩いていたら、女子学生が多いことに気がついた。しかも、堅物の研究者風情ではなく、ごく普通の可愛らしいお嬢さんたちだ。聞けば、今やMITでは約半分の学部学生、1/3の大学院生が女性だそうだ。

 ドレッセルハウス教授始め多くの先人の半世紀以上にわたる努力が実を結びつつあるのだ。

 教授自身、女性差別と戦ってきた。教授は固体物理の研究で有名だが、なぜか最初は電子工学科の教授だった。実は、教授が最初にMITに採用された1967年当時、物理学科の教授会は「女に物理ができるわけがない」ということで却下したため、電子工学科の教授になったのだという。その後、物理学科が過ちを認め、物理学科の教授職を認めたのは何とそれから16年後のことだ。

 私の出身高校は、前身が高等女学校だったこともあり、当時女子生徒の数が男子生徒の倍いる珍しい高校だった。聡明な女性たちの自由闊達な態度に魅了されたものだ。しかし、理系の女性はかなり少数派だった。旧制女学校の「良妻賢母」教育の影が色濃く残っていたのかもしれない。

 理系の女性を「リケジョ」などとレッテルを貼っているうちはまだ特殊なマイノリティーだ。教育は百年の計。理工学系学部の半分が女性になり、リケジョが死語となるのはいつだろうか。

(日経産業新聞2017年12月19日)

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