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マーケターとしてベンダーとして、一貫してデータの世界で生きてきた筆者による、思考と情報整理のためのメモ。

かつて未来のワクワク感を与えてくれたデバイス

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いまさらですが Steve Jobs さんのご冥福をお祈りします。

Jobs 急逝のニュースを聞き思い出した。もうかれこれ20年も前のこと、大学2年末のゼミ面接の場で唐突に 「尊敬する人は?」 と聞かれ、不意を突かれた当方は思わず、その場にいる人が誰一人として知らない Steve Jobs の名前を口走った。案の定 「?」 という反応。どんな人なのか聞かれたので、Apple Computer の創業者で、今は追い出されて、なんて話をする。結論近くまで至った時点で、誰も話について来ていないことに気づき、話を切り上げたことで余計に尊敬する理由がぼやけてしまった。明らかに選択ミスだ。パソコン=オタクと定義されていた当時の、商学部国際経済学専攻ゼミの面接で披露するエピソードではない。

ちなみに同じ面接で「卒業したら入りたい会社は?」 という質問に対し 「IBM」 と答えている。当時業績悪化はなはだしかった IBM である。国際経済学教授からすれば、どう解釈してもただの間抜けである。よくこんなやつを合格にしていただけたものだ。ついでに言うと、卒業後は、バブルが崩壊したというのに逆張り戦略で証券会社に入り、予想通り挫折してITベンチャーでの事業立ち上げに転身するも、データベーススペシャリストに合格したのを SE の道に進みたがっていると勘違いされ配置転換紆余曲折あってマイクロソフトに転職、その後鳴り物入りで新設された部門の立ち上げメンバーとなるも戦略変更により4年でなくなり … と、ちょっと裏側に突っ込んでしまう当時のクセが、いまだに治っていないようである。

さて、なぜ Steve Jobs のことを尊敬していたか、だが、Jobsの当時の不遇とあわせてNeXT というコンピューターにそこはかとないワクワク感を持ったことにある。何かが起きそうな予感、とでも言うべきか。残念ながら、結局大したことは起きなかったのであるが。いや、のちのMac OS X UNIXをベースとしたNeXTSTEP (NeXTOS) の設計が引き継がれているとかなんとか、そんな話もあるのだろうが、当方が当時感じた期待感は、そんなつまらないレベルではなかったのだ。

未来のコンピューター “NeXT”

当時の当方、こちらの世界に詳しくはなかった。PCを初めて触ったのは中学3年生、高校では当時すでにこの業界の人であった実兄のお下がりの NEC PC-9801 F で遊んではいたが、内臓の N88 BASIC で年賀状用の住所録と宛名ラベル出力プログラムを作る程度の知識しかなかった。マイクロソフトの名前はこの BASIC の開発会社としてのみ認識していた。無論世の中では PC を持っていない人が大勢を占めたが、持っている友人たちは皆 RPG に明け暮れ、またマイコン BASIC (雑誌の名前) など買ってゲームのプログラミングなどをしている中、当方といえば 3 ステージで飽きてしまった Xanadu、一応コンプリートできた Märchen Veil ぐらいにしか使っていなかったのである。Mac はもちろん見たことも触ったこともなく (実は今もまだ触ったことがない)、よって Mac にも Apple にも特に思い出はない。

そんな当方が Jobs NeXT を知ったのは、何かの大人向けのグッズ系雑誌だった。確か「特選街」 だったような気がするが記憶違いかもしれない。失礼な言い方だがそういうマイナーな雑誌だからこそだろう、Jobs Apple を追い出された顛末と Apple NeXT のロゴへのこだわりのエピソード、そして NeXT のハードウェアが詳細に紹介されていた。OS UNIX ベース。群を抜く性能と真っ黒なマグネシウム合金のスタイリッシュな筐体。標準搭載されたキヤノン製の光磁気ドライブにもそそられた。当時まだ MO は一般に知られている存在ではなかったし、虹色にきらきら光る書き込み可能ディスクなんて夢のように思えた。そりゃそうだろう。これまた大変失礼ながら、PC-9801 F の変な色に薄汚れた (それは当方の責任であり NEC は何ら悪くない) プラスチック交じりのアイボリー色の筐体に、ヘッドが動くたびにやたらブーブー、ガッチャンガッチャンうるさい 5 インチ フロッピーディスクと比べたら、未来の世界もいいところなのである。ワクワク。きっとこの人は世界を変えるに違いない、本当にそう思った。しかし当方はどちらかというと Jobs ではなく NeXT に夢を見ていたので、その意味では、当方の予想は完全にハズレたのである。

未来の挫折と復活

大学卒業後証券会社に入り、新宿駅西口の高層ビル群の一角にある「新宿センタービル」 に入っていた支店に配属されたのだが、近くの三井ビルの敷地にあったキヤノン販売のショールームで NeXT のロゴを見かけた。ちょっと覗いてみようかと思ったが勇気がわかなかった。確かそのころすでに NeXT はハードウェア事業からの撤退を表明していたはずだし。それに、とてもひっそりとしていたのだ。南向きなのになぜか薄暗い雰囲気。もう誰も NeXT に注目しているとは思えなかった。夢破れたり。証券営業に挫折を感じていた当方は、その気分と相まって、なんとなく悲しい思いでその場を立ち去ったのである。

其の後この業界に移り、こちらでなんとかやっていけそうな気になっていたころ、Jobs Apple に復帰したニュースを聞いた。Mac OS の刷新という文脈の中で NeXT の名前を聞いて、なんとなくうれしかった記憶がある。当方にとって Jobs NeXT は、多感な青春時代のノスタルジーとリンクしているのだ。だから iMac 以降の華々しい Jobs は東宝にとっては全くの別人であり、興味の対象でもなく、Mac をほしいと思ったことも一度もない。当方の現在の担当製品である Microsoft Lync のファミリー製品として、年内に Lync Mobile というスマートフォン用のアプリが登場する予定なのだが、これが Windows Phone だけでなく、iPhone iPadAndroid にも対応するものだから、それぞれテスト用にデバイスを購入した。これが自分で購入を意思決定したはじめての Apple 製品。しかし自分の懐は痛んでいない。会社のだから。

実際に使ってみて、比べてみて、iPhone のワクワク感はなんとなく理解できる。アプリの数がまだ断然差があるのだが、Windows Phone のライブ タイルもなかなかいいところに行っている、これ本当。Android は売れ筋の国産ものを買ったのだが、正直イマイチ。なんだかやたらいろんなアプリが搭載されているのだが、ごちゃごちゃしている。操作性は似ているはずなのに iPhone の時はそうは感じなかった。この違いはどこから来るのだろう?

三つ子の魂百まで

最初に何を体験する (させる) のか、の問題なのかもしれない。iPhone は、音楽を聴くデバイスが進化して、ブラウジングやメールや電話ができるようになった、アミューズメントのためのデバイスとしては進化を遂げてきた。だからスタートメニューは、右から iPodSafari、メール、電話、なのだろう。楽しみ方が明確だ。ポータブル音楽プレーヤーが賢くなって、音楽を聴く以外にも楽しみ方が増えて、データ通信ができるようになってその幅が広がってきて、その先も何かいろいろすごいことが起きそうな、ワクワク感。一方 Android は最初からスマートフォンで、すべてにおいて iPhone の上を行こうとしている。しかしガラケーだってすごかったから、形状とビジネスモデルがちょっと違うだけ。電話とデータ通信のためのデバイスで、アプリはすべて同列、よって全体がごちゃっとしている。電話は今までず~っとそうだったように、これからも電話なのだから、電話とは違うスタイルを確立しない限り、そこから抜け出すことはできない。i モード以来、電話の世界でのパラダイム シフトは起きていない。十分想定可能な現実の範囲では、未来を作り出すことはできない。なお、Windows Phone は身内なのでコメントしないでおく。Android と同じ轍は踏んでほしくないものである。

当方の初めての未来体験は NeXT であった。PC にも大きな感動と可能性を感じたが、当方の不十分な技術水準ではかえって現実の範囲だった。だから実際に手に取ったわけでもない NeXT のほうが心の奥底に刻み込まれている。その一瞬の関わりではあったが、そのような機会を与えてくれた Steve Jobs さんに心から感謝したい。

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